多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

有償化の議論も…救急車出動1回あたりの経費はいくら?

『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』の金曜日に放送されているコーナーが、「石塚元章の金曜コラム」。

CBC論説室の石塚元章特別解説委員が、放送日に近い記念日などからキーワードをピックアップし、さまざまな角度から分析しています。

9月8日放送のキーワードは「救急車」、翌日の9月9日は語呂合わせで救急の日ということから取りあげました。

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「急に救う」という意味じゃない

まずは「救急」という言葉そのものから解説を始める石塚。

小学校で漢字の書き取りテストの際、「救」と「急」どちらのキュウが先か迷ったことはないでしょうか?
実はこの「急」は「急ぐ」ではなく「困った状態」のことを指していますので、救急とは「困った状態を救う」を指す言葉なのです。

世界最初の救急車は1800年代に誕生し、フランスのナポレオン軍軍医だったドミニク・ジャン・ラレーが作ったとされています。
ラレーは「軍に救急部隊を作り、ケガをした人を専用の馬車で運んだ方が良い」と進言したそうです。

さらに、災害が発生して多くの人がケガをしている際、優先順を付けて治療する「トリアージ」という考え方が広まりつつありますが、この仕組みを初めて考えたのもドミニク・ジャン・ラレーといわれています。

市民が救急車を使えるようになったのは、1869年(明治2年)アメリカのシンシナティ市で民間病院が馬車を使ったのが初めてとされています。

そして、自動車が初めて投入されたのは1899年(明治32年)、こちらもアメリカでシカゴの病院が使ったといわれています。

日本初の救急車はどこで誕生?

日本で初めて救急車が使われたのも、実は戦争がきっかけでした。
1877年(明治10年)に起こった西南戦争では、あまりにもケガ人が多かったため、日本赤十字社の前身である博愛社の面々が、負傷者を運ぶのに馬車を使ったといわれています。

日本の救急車で自動車が初めて使われたのは1932年(昭和7年)。
日本赤十字社大阪府支部が導入し、その後、横浜や名古屋、東京などへと広がっていきました。

導入当初は救急車の存在を誰も知らなかったため、広報には苦労したようで、名古屋市ではポスターを4500枚貼り、ビラを26万枚も刷って配っていました。

現在のような救急車のシステムができたのは1963年(昭和38年)のこと。
それまでは警察などの管轄でしたが、消防法が改正され、自治体の消防業務として救急車を配備することが公式に決まりました。

1992年(平成4年)には救命救急士という制度が国家資格になり、救急車で一部の医療行為ができるようになりました。

救急車の新たな問題

こうして定着してきた救急車ですが、その過程にはさまざまな問題もありました。
例えばサイレンは、大阪サイレン製作所という会社が最初に作り、初期はハンドサイレンといって手回しで鳴らしていました。

しかしこれが消防車やパトカーと同じ音で、聞いただけでは火事なのか救急なのかわかりませんでした。
そこで1970年代には電子音の物を開発しました。

その音で知らせるという点について、現在は新たな課題が生まれています。

熱暑でカーエアコンを使う機会が増えている昨今、車の密閉度が高くなっていて、音楽を大音量でかけていたりすると、現在のサイレン音では気づくのが遅れてしまいます。

また「サイレン音がうるさい」「到着前になったら鳴らさないでほしい」など、さまざまな注文や要望が寄せられることが増え、救急現場はその対応に苦労しています。

特に大きな問題として、最近救急車の到着時間が長くなる傾向にあるようです。
これは他の車が気づかずに避けてくれないというのも一因にあるようです。

また、緊急ではないのに無駄に救急車が呼ばれるケースも多く、有料化の議論も出てきているようです。

ある試算によると、1回の出動で5万円ほどの経費がかかるとのこと。
石塚は無料で救急車が利用できることについて、「すごい行政サービスなんだということを意識しておいてもらいたいと思います」とまとめました。
(岡本)
 
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2023年09月08日07時19分~抜粋

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