多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

ワコールが最初に販売したのは、女性用下着ではなかった

CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』の水曜日に放送されているコーナーの1つが「ルーツ・オブ・カンパニー」。

多くの人々が知る大企業、有名企業の知られざるルーツを紹介していますが、8月23日の放送では、京都に本社を構えるワコールを取り上げました。

ワコールといえば女性用下着で有名ですが、実は創業当時はまったく別の物を作っていました。

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戦争で悲惨な経験

ワコールの創業者は塚本幸一氏、1920年(大正9年)生まれで滋賀県出身です。
日本初の公立商業学校だった滋賀県立八幡商業学校で商売について学んだことが、その後の人生のベースになったようです。

塚本氏は学校卒業後しばらくしてから、第二次世界大戦のインパール作戦でビルマ戦線に従事しました。この作戦は戦闘よりも圧倒的に餓死や病死した方が多く、後世には無謀な作戦だったと評されています。

塚本氏が所属していた部隊は55名で編成されていましたが、そのうち生き残ることができたのは、塚本氏を含めてわずか3名だけでした。

そして終戦の翌年、1946年(昭和21年)に復員船で日本に帰ってきました。

女性のための商品を売りたい

塚本氏は故郷に近い京都駅に着き、護国神社へお参りに行った際、境内で衝撃的な風景を目撃します。

敗戦直後、日本にはアメリカの進駐軍が多くいましたが、派手な化粧をした日本人女性が駐留軍の兵士と戯れていたのです。

塚本氏は「アメリカ兵に媚を売らなければ、日本の女性は生きていけないのか」と大きなショックを受けました。
そして、日本女性が本来持つ凛とした美しさを取り戻し、普通に生きていける社会こそが平和で豊かな社会、それが未来につながっていくようにしようと決意しました。

護国神社からすぐに叔父の家に行き、そこで叔父の上司だったという人と知り合うのですが、持っていたのが模造真珠のネックレスで、売り先を探しているといいます。

そこで、塚本氏はその日のうちに真珠を売ってきました。

つまりワコールのルーツは、女性用ネックレスの販売だったのです。

今では当たり前の売り方

塚本氏は、その日のうちに社名も決めました。

名前を「和江(わこう)商事」といいましたが、これは出身である滋賀のことを江州と呼ぶことから「江州に和す」という意味が込められています。

そして現在のワコールという社名のもとが、この和江商事という名前なのです。

ネックレスの販売が順調に進んだのち、さらに女性が美しく生きるため、女性用の下着も販売するようになりました。

これからは和装から洋装の時代になっていくと考え、きれいに見せるためには下着が大事と考えた塚本氏。

最初はブラパットを販売し、その後、ブラジャーを開発。
京都の百貨店では女性用下着専門の売り場を作り、さらには欧米の視察でヒントを得て試着室を作るという画期的な販売方法を考案しました。

今や当たり前となっているフィッティングルームですが、日本で最初に始めたのはワコールだったのです。
(岡本)
 
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2023年08月23日08時15分~抜粋

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