多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

松尾芭蕉「古池や蛙飛び込む水の音」、実は俳句ではなかった?

CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』の金曜日は、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が、その時期に合ったキーワードをピックアップし、さまざまな角度から分析しています。

8月18日放送のキーワードは「俳句」。翌日8月19日は語呂合わせで「俳句の日」です。

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有名な俳句といえば

俳句を趣味として嗜む方もいらっしゃいますが、パーソナリティーの多田しげおは「中学校の授業で作ったことがある程度」と語ります。

一方、加藤愛アナウンサーは、情報番組『チャント!』(CBCテレビ)の「いただきます!ほぼ地元だけ愛されフード」のコーナーの終わりで、取材した内容を元に俳句を詠んでいます。
本人は「俳句って言っていいレベルじゃない五七五を…」と評し、季語がない川柳のような句を詠んでいるそうです。

「あなたが知ってる俳句は何ですか?」と聞かれて多くの人が思い浮かぶものの一つが、松尾芭蕉「古池や蛙飛び込む水の音」。
ところがこの句、実は厳密には俳句ではありません。

松尾芭蕉が詠んでいた時代にはまだ俳句がなかったからですが、まずは俳句やその前にあった歌に関する歴史を石塚がひも解いてみました。

俳句が生まれたきっかけ

俳句が生まれる前にあったのが和歌、俳句よりも多い五七五七七の31文字です。

平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、和歌から派生した連歌というものが生まれました。
これは最初の人が五七五を詠んだ後、次の人が続きの七七を即興で考えて詠むというもので、さらに次の人は別の五七五を詠み、さらに次の人が七七を詠んで続いていくという、高貴な言葉遊び。

鎌倉時代はこれを100句続けるのがブームになったそうです。

この高貴な遊びに対し、もっと面白みがあり俗っぽいバージョンとして生まれた連歌が、俳諧連歌というもので、最初に詠む五七五のことを発句といいました。

これが松尾芭蕉あたりから発句の五七五だけを独立させるようになり、後に俳句となりました。

「俳句」と呼ばれるようになったのは、実は明治時代と遅く、正岡子規が名付けて定着させました。

正岡子規の句に賛否両論

俳句は文字数が決まっていますので、いかに短い言葉で簡潔に伝えることができるかがポイント。
ただし、短すぎて本人の意図が伝わりきれないケースがあり、解釈がしばしば議論になることもあります。

例えば松尾芭蕉の「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」という句で、この蝉は何の種類なのかと議論になったことがあるそうです。

斎藤茂吉はアブラゼミという見解を、夏目漱石門下の文芸評論家、小宮豊隆はニイニイゼミだろうと主張しました。
ただ、斉藤は後に現地に出かけた結果、アブラゼミがまだ鳴いていないことを知り、自分の説は間違いではないかと思ったそうです。

そして、さまざまな研究から当時の気候などを調べた結果、ニイニイゼミに軍配があがったようです。

また、「俳句」の名付け親・正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句が、今でいう炎上したこともありました。

鶏頭は赤い秋の花ですが、素晴らしい句という方もいれば、「ただ花のことを詠んだだけ」という意見もあったり、賛否が分かれました。
いろいろな解釈が出てくるのも、ある意味俳句の醍醐味なのかもしれません。
(岡本)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2023年08月18日07時20分~抜粋

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