多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

カセットコンロの「イワタニ」、創業当時に売っていた物とは?

『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』の水曜日に放送されている「ルーツ・オブ・カンパニー」コーナーでは、日本で名だたる企業の知られざるルーツを紹介しています。

7月19日の放送で取り上げた企業は、岩谷産業でした。

これからの季節、バーベキューコンロのカセットボンベでお世話になる方も多いと思いますが、岩谷産業というよりも今や「Iwatani」のほうがなじみ深いのではないでしょうか。

果たして、創業当時はどのようなものを売っていたのでしょうか。

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適者生存という考え

岩谷産業は1930年(昭和5年)に創業しました。当初は酸素・溶接棒・カーバイドを取り扱っていました。

カーバイドとは炭化カルシウムのことで、水と作用させると可燃性のアセチレンガスが発生し、火をつけると高熱を発生するため、金属の溶接などに使われていました。
現在のガスと関係なくはないですが、この頃はまだ燃料のイメージはありません。

創業者は岩谷直治氏で、1903年(明治36年)島根県生まれ。
豪農の家に育ちましたが、父親が病に倒れ家計が苦しくなったため、成績優秀でしたが近くの学校に通っていました。

しかし、そこで出会った先生から「適者生存」という言葉を学びます。
ダーウィンが提唱する進化論から来ている言葉で、環境に適したものが生存していけるというものです。

これを岩谷氏は「世の中に必要な企業は生き残れる、世の中に必要なものこそ栄える」と考え、今も岩谷産業の企業理念となっています。

主婦が助かった

岩谷氏は25歳で結婚し、27歳で岩谷直治商店を創業、これが岩谷産業の元祖です。

1952年(昭和27年)、ある講演で「イタリアではプロパンガスをボンベに詰め、家庭用の燃料として使用している」と聞きました。

「うちの母親はかまどで煮炊きをしていて苦労していた。日本の主婦を煙やすすから解放したい」と思った岩谷氏は、翌年日本で初めて家庭用プロパンガスの全国販売を開始しました。

安全に運ぶための車を導入したり、全国規模で輸送網を整備したりするなど、プロパンガスの普及に貢献し、今や全国320万の家庭に届けられていることから、岩谷氏は「プロパンの父」と呼ばれています。

ロケット燃料にも活用

次いで1958年(昭和33年)、岩谷氏が55歳の時に「やがて液化水素の時代が来る」との直感があったそうです。
そして液化水素の製造プラントを建設し、現在ではJAXA(宇宙航空研究開発機構)に納品しています。

液化水素を燃料にした日本のロケット、H-1ロケットは1986年(昭和61年)に打ち上げられていますが、これは岩谷氏が供給した液化水素であると言われています。
実際に種子島での打ち上げを岩谷氏も見ており、「21世紀は水素が世の中を変えるに違いない」と確信したそうです。

おなじみのカセットコンロは1969年(昭和44年)に日本で初めて発売され、カセットボンベとともに製造・販売し、大ヒットしましたが、この時、岩谷氏は66歳。

1978年(昭和53年)に発生した宮城県沖地震、そして岩谷氏没後の2011年(平成23年)の東日本大震災では、カセットコンロとボンベをセットにして、被災地に救援物資として送りました。

まさに「世の中に必要なものこそ栄える」という理念が生きています。
(岡本)
 
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2023年07月19日08時13分~抜粋

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