多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

資生堂の創業時は、化粧品メーカーではなかった!

『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』の「ルーツ・オブ・カンパニー」コーナーでは、世間一般に広く知られている企業が創業した時の意外なルーツについて紹介しています。

6月28日の放送では、日本の有名化粧品メーカー「資生堂」を取り上げました。

ローマ字の「SHISEIDO」でおなじみの資生堂、実は創業当時は化粧品メーカーではなかったそうです。
どのようにして、シェアトップの化粧品メーカーへと変わっていったのでしょうか?

その歴史を紐解いてみましょう。

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日本初、民間の西洋式薬局として開業

資生堂の創業者は福原有信氏で、1848年千葉県生まれ。
17歳の時に江戸に出て西洋薬学を学びました。

明治維新後は現在の東京大学医学部の前身にあたるところでも学んだ後、1872年(明治5年)銀座に資生堂薬局を開業しました。
最新の薬を揃えていて、日本初の民間で西洋式の調剤薬局といわれています。

この「資生堂」という名前ですが、「資生」とは中国の古典に由来する言葉で、「大地の徳はなんとすばらしいものであろうか」という意味だそうです。
そこから新たな文化を生み出そうという理念もあり、付けた名前とのことです。

品質が高く先進性があり、本物志向の薬を置いて、信頼できる薬局として人気を得ることで、人々に広く知られるようになりました。

西洋文化に触れられる場所

その後1888年(明治21年)、資生堂は日本初の練り歯磨きを発売しました。
今では歯磨き粉といえば練り歯磨きのことを指しますが、それまでは粉しかありませんでした。

さらに1897年(明治30年)には化粧品事業に進出し、化粧水を発売します。

いずれも当時の日本にはなかったもので、新しい物や事業を生み出し、新しい文化を生み出していました。

この化粧水の名前は「オイデルミン」といい、120年以上経った今でも販売されている超ロングセラー商品です。

そして、1897年(明治30年)には、日本で初めてソーダ水とアイスクリームの製造と販売を行うようになりました。

銀座で西洋のハイカラな文化に触れられるということで、当時の文学作品にもその様子が登場されるほどの評判を呼び、こちらも日本に新しい文化を生んでいます。

最初は薬局の中のコーナーでソーダ水を提供していましたが、やがて洋食レストランの資生堂パーラーへと発展していき、今も銀座などで営業しています。

新しい文化を生み続ける企業

そして、化粧水のオイデルミンがきっかけとなり、資生堂はどんどん化粧品事業が発展していき、今や日本でトップシェアを誇る化粧品メーカーとなった現在に至るというわけです。

創業当時の理念である、新しい文化を生み出すということが、まさに実践されてきています。

人のしあわせを願い、美の可能性を広げ、新たな価値の発見と創造を行うことを、資生堂では現在も企業の使命としているそうです。

この紹介の後、番組では資生堂化粧品のキャンペーンソングとして起用された曲、KUWATA BANDの『BAN BAN BAN』をかけました。
(岡本)
 
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2023年06月28日08時12分~抜粋

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