多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

今までも、これからも名古屋の地下街は日本一。その理由は?

CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が、様々な日本での最初の出来事を物語る、『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)の「日本はじめて物語」のコーナー。

11月9日放送の日本はじめて物語は「地下街」です。

北辻委員によれば、名古屋の地下街は今後も日本一となる見込みだそうです。その理由についても解説しました。

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トルコにあった元祖地下街

地下街のルーツはどこだったのでしょうか?
それは世界遺産で有名なトルコのカッパドキア。
火山の噴火によってできた洞窟を利用した地下都市があります。

6世紀から10世紀ぐらいの間は、アラブ人による襲撃から逃れるための避難所として利用されました。

北辻「これが、今でいう地下街のルーツではないかと言われています。地下に住むのはありだなと、人はその頃から地下に目を向けていたんですね」

世界と日本の地下街

現在のような地下街で一番有名なのが、カナダのトロントにあるPATHという地下街。
1900年にイートンデパートの本館と別館を繋ぐ通路が作られたのをはじめとして、100年以上かけて全長30キロメートルという長い地下街ができあがりました。
その他にドイツのベルリン、韓国ソウル特別市の地下街も有名です。

地下街は世界各国にありますが、日本でのルーツはどこでしょう?

北辻「最初の本格的な地下街は、実は私たちの地元、名古屋駅前の名駅地下街」

50年前は大阪に住んでいた多田しげおは、当時のことを記憶していました。

多田「地下街って何?って言ってた時代ですけど、名古屋の地下街のことは大阪にも聞こえてましたね」

東京オリンピックの遥か前

名古屋駅前の地下街は、現在「サンロード」という名前で呼ばれています。
できたのは1957年(昭和32年)ですから65年前。
東京オリンピックが開催されたのは1964年なので、その7年も前にできていたことになります。

「私も、まだ生まれていません」

こう語る北辻委員は1959年生まれ。
ちなみに多田は1949年大阪生まれ。8歳の時に名古屋の地下街の噂を聞いていたわけです。

1957年秋に、名古屋駅と栄の間に地下鉄東山線が開業しました。
それに伴って周辺の地下が開発されることになったのです。

北辻「地上は車。地下は鉄道と人に分けることができないか?という都市計画です」

地下街のメリットは?

地下街のメリットは何でしょうか?

北辻「車がいなくて信号機がないので歩き放題です。商店街のように多種多様な店がありますが、商店街と違って雨の日は傘がいりません。さらに冬は暖かい、夏は涼しい」

名古屋の場合は、地下がデパートと直結しているので、デパートには複数の出入り口で出入りできます。
デパートからデパートへ行くのにも、わざわざ地上に上がらなくてもいいので安全で便利。
もちろん地下では駐車場とも直結しています。

北辻「名古屋は日本一の地下街の街と言えます。特に名古屋駅と栄という2つの地区に、それぞれ8万平方メートルの巨大な地下街が広がっています。二大巨頭です」

名古屋人は地下が好き?

名古屋駅周辺の地下街はサンロードの他、メイチカ、ユニモールがあり、JR方面にはテルミナ改めゲートウォーク、そして新幹線口のエスカ。
一方の栄地区はサカエチカ、栄森の地下街、名古屋テレビ塔の下にはセントラルパーク地下街が広がっています。

また金山や伏見にも小さい地下街があります。名古屋には大小合わせて14の地下街があるそうです。

実は今後防災上の問題により、国として地下街の新しい増設は、やむを得ない場合を除き抑制する方向なんだとか。

北辻「これからは地下街が作れない時代に入っていく。名古屋の地下街トップは、これからも続いていくと思います。作っておいてよかったですね」

狭い日本、地下に目を向けて、知恵と工夫で街づくりを進めてできた地下街。北は札幌から南は九州の博多まで、全国各地にできています。

北辻「地下街はじめて物語のページには、日本の都市文化の歩み、その確かな1ページが高度成長期の残像を映し出しながら、今日も刻まれています」
(尾関)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2022年11月09日07時39分~抜粋

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