多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

「バスクリン」は煎じ薬だった?入浴剤はじめて物語

CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が、様々な日本での最初の出来事を物語る、『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)の「日本はじめて物語」のコーナー。

11月2日放送の日本はじめて物語は「入浴剤」です。

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クレオパトラも入っていた?

お風呂に入る時、湯に何か入れる風習は昔から世界各地にあったようです。
古代エジプトでは香油を入れたり花びらを入れたりしていたそうです。

北辻「クレオパトラが花びらを浮かべた風呂に入っている光景は目に浮かびますよね」

1963年公開の映画『クレオパトラ』では、クレオパトラ役のエリザベス・テーラーが花びらを浮かべたお風呂に入っているシーンがありました。

また、古代メキシコでも病気を治すために、薬草を入れた湯で入浴することがあったそうです。

日本では?

江戸時代には、皮膚病を治療するために植物を入れた「薬湯」というお風呂があったそうです。
現在でも植物を入れて入浴する習慣は残っており、端午の節句では菖蒲湯、冬至の時には柚子湯に入るという方もいるでしょう。

お風呂に入れる物が植物から大きく進化するのは明治時代から。

1871年(明治4年)、現在の奈良県に津村重舎さんという人が生まれました。
津村さんは、母方の実家が薬を扱っていたため東京の日本橋に出て薬屋を創業。実家伝来の「中将湯」という婦人用煎じ薬の製造、販売を行います。

この煎じて飲むはずの薬が、ひょんなことから入浴剤となるのです。

原料を持ち帰った社員の発見

一人の社員が「中将湯」を作るための生薬の残りを家に持ち帰っていました。
それを自分の家の風呂に入れて入っていると「夏は汗疹に効いて」「冬は温泉のように身体が温まる」と津村さんに報告。

津村さんはその社員を叱ることもなく「これは商品にできる」と、「中将湯」の生薬を刻んで紙袋に詰めて、「浴剤中将湯」として銭湯に売り込みます。
するとその銭湯が大人気になりました。

これが入浴剤の始まりで、1897年(明治30年)の出来事でした。

爽やかさは香りが大切

しばらくすると、中将湯にある問題が出てきました。
「身体は温まるが、夏は湯上りの汗が引かなくて困る」という苦情です。

北辻「人って贅沢ですよね」

そこで津村さんは、風呂上がりの身体がスーッとするような入浴剤ができないかと、大学の研究室と一緒に共同開発をして考えました。

研究の結果、爽やかさを出すには、まず香りが大切だという事が分かり、松の葉の香りを選んで温泉のミネラル成分に混ぜ合わせます。

お風呂で綺麗に

続いて検討したのは見た目。
特殊な色素を配合することによって、粉の段階ではオレンジ色、湯に入れると蛍光色を発色して透明感のある緑色になる芳香入浴剤が完成。

北辻「香りと見た目で人間はスーッと気持ち良くなるんですね」

この芳香入浴剤は1930年(昭和5年)に発売されました。
当時はブリキの缶に入れて150グラムを50銭、現在換算すると4,000円ぐらいで販売していたそうです。
お値段は張るものの、浴剤中将湯と同じように銭湯に持って行くと、再び銭湯で大人気に。

この芳香入浴剤の名前を考えた津村さん。
お風呂で身体を綺麗にすることから、「お風呂=バス」「身体を綺麗に=クリーン」。
バスとクリーンで「バスクリン」と命名したのです。

進化する入浴剤

昭和30年代に入ると、一戸建ての家や公団住宅がどんどん増え、銭湯から家庭のお風呂へと移りました。

時代の波に乗って、「バスクリンジャスミン」「バスクリンブーケ」など、香りが加わるもの発売し、夏向けの入浴剤を独立させた「クールバスクリン」も登場しました。

津村さんが最初に創業した薬屋の名前が津村順天堂で、その後株式会社ツムラに社名変更。さらに入浴剤だけを作る会社、株式会社バスクリンが独立し、今も家庭に入浴剤を送り届けています。

北辻「温泉タイムを幸せに演出してくれる入浴剤は日本でめざましい進化を遂げました。『入浴剤はじめて物語』のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、湯けむりの中でポカポカと浮かび上がっています」

いい湯だな~。 
(尾関)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2022年11月02日07時38分~抜粋

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