多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

北海道函館市に坂本龍馬の銅像がある理由

10月24日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』(CBCラジオ)の「ザ・ランキング」では、全国にある銅像の数のランキングを取り上げました。

どんな人物が銅像のモデルになっているのでしょうか?

[この番組の画像一覧を見る]

日本に多い銅像トップ3

5位からカウントダウンしましょう。

5位 織田信長 全国に15体
4位 ヤマトタケルノミコト 22体
3位 笹川良一 29体
2位 松尾芭蕉 36体
1位 坂本龍馬 38体

日本の銅像探偵団などの調査をもとにしています。

坂本龍馬はやはり高知県に多く、他に長崎県、京都府、東京、鹿児島、香川、愛媛、熊本、福井、そしてもうひとつ、北海道の函館市にもあります。

函館市の竜馬像は高さ3.5メートル。すくっと立ち、右手を上に伸ばして、その人差し指をさらに立てて空に向けています。
有名な高知の桂浜の竜馬像は、片手を懐に入れて太平洋を睨んでいますが、それとは全く異なる姿なのです。

なぜ、函館市に坂本龍馬の銅像があるのでしょうか?
函館市にある「北海道坂本龍馬記念館」館長の林洋二さんに電話で伺いました。

龍馬の手紙

そもそも坂本龍馬が函館市はもちろん、北海道を訪れた記録は残っていません。

林館長「龍馬さんは北海道に来たことはないですが、慶応3年の3月の手紙の中に、『蝦夷地に渡って新しく国を拓くんだ、これは積年の思い、これはひとりでもやり遂げるんだ』と書いています」

この手紙は、龍馬が蝦夷地の開拓について同志に宛てたもので、原文は「小弟ハエゾに渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ出に候間、何とぞ一人でなりともやり付申べくと存居候」です。

竜馬の開拓への熱意が綴られた手紙なのです。

坂本家と北海道

その後竜馬は志半ばで暗殺されてしまいますが、実は坂本家の北海道とのつながりはここから始まります。

林館長「その半年後にはもう龍馬家の家督を継ぐ、甥っ子の太郎さんが五稜郭の中にある函館奉行所に役人として函館に来ています。
明治30年には、坂本家の本家の方が移住されています」

その本家の末裔は現在でも北海道にいるそうです。

林館長「『六花亭』の絵を描いた方が、坂本家8代目当主の坂本直行さんです」

六花亭は全国的にも有名な北海道の菓子メーカーです。
北海道は坂本家にとって縁のある土地なので、竜馬の銅像が建てられたというわけです。

志を持って

さて、函館市の龍馬像のポーズにはどんな意味があるのでしょうか?

林館長「非常に意味があって、左手には本を持っています。この本は当時の万国公法、いわゆる国際法です。この意味は世界の情勢を見て、日本を見ないといけないということです。

右手を挙げているのは、世のため人のために志を持ったら一人でもやるんだ、という強い意志を表現しています。
これからの若い人が、自分の志を持って世のため人のために行動してもらいたいという意味があります」

林館長にとって、龍馬はどんな存在なのでしょう。

林館長「人生の指針になる人です。尊敬の対象です」

最後に「館長さんは、毎日その思いを身に感じているんですね。ぜひ北海道の『坂本龍馬記念館』に行って銅像を見て、気持ちを新たにしたいですね」とまとめる多田しげおでした。
(みず)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
この記事をで聴く

2022年10月24日07時41分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報