多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

ボールペンはじめて物語。驚異の進化と日本人の技術力

CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が日本におけるあらゆる物事のルーツを説明する『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)「日本はじめて物語」。

9月7日の放送で取り上げたのはボールペン。
日本のメーカー3社がリレーのようにして進化させたという物語が明らかになります。

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そもそもボールペンとは?

ご存知のように、ペンの先端に小さい金属のボールがついているペンがボールペン。
もう少し具体的に説明すると、インクが入った細い筒状の先端にあるホルダーに、包み込まれるようにボールがあります。

ボールが回転することで、ボールとホルダーの小さな隙間からインクが少しずつ出て、紙に線が引け、文字が書けるという仕組みです。

北辻「ボールは、くるくる転がりながら、頑張る役目なんですね」

ポケットに入ってやってきた

北辻「この仕組みってすごい仕組みで、19世紀の末にアメリカで構造は発明されたんです」

20世紀に入ってヨーロッパに広まり、ハンガリー人により1943年(昭和18年)に、これをペンとして商品化。

日本に初めて入ってきたのは1945年(昭和20年)のこと。アメリカの進駐軍が持ち込んで一般に知られたそうです。
彼らのポケットに入っていたのが、日本人が最初に出会ったボールペンでした。

オート社が飛躍的に進化させる

当時のボールペンについて解説する北辻委員。

北辻「万年筆型でちょっと太い形のものだった。ですから日本人にとっては持ちにくいし、書き心地もあまりよくない。決して使いやすいペンではなかった」

じゃあボールペンを改良しようと、ボールペンの国産化が始まりました。
まず始まったのは持ちやすさの改良です。

中田藤三郎さんが東京に創業したオート株式会社が、1949年(昭和24年)に鉛筆型のボールペンを開発。「オートペンシル」と名付けられました。

北辻「次は文字の太さ。アメリカから来たものは書くと太かったんですよ。アルファベットを書くにはいいんですけど、私たちは漢字を書くじゃないですか」

10画、20画の漢字を書くには太すぎます。細い字を書くには、先端に入れるボールを小さくしなければいけません。
そこでオート社が開発したのが0.6ミリのボール。鉛筆型にして0.6ミリのボールを開発。これだけでも大進化です。

ゼブラとサクラのインク革命

1967年(昭和42年)、ゼブラ社が本体を透明のプラスチックにして、中の芯が見えるようにしたそうです。
今でもおなじみの形で、これによりインクがどれくらい減っているかわかるようになりました。

さらにゼブラ社は、黒だけでなく、赤い色、青い色が1つにまとまった3色ボールペンを開発しました。

北辻「今度はクレヨンでおなじみのサクラクレパス社がインクを改良するんです。油性インクは油で書きずらい、水性インクは水に滲んでしまう」

そこでゲルインクというインクが開発されたそうです。
中芯のパイプの中ではゲル状でちょっと固まっている。書くと、ペン先のボールが回転して、摩擦の熱でインクが柔らかくなってスムーズに書ける。

しかし紙の上に付くと、冷えてまた固まって消えにくい。三段階に変化するゲルインク。これは世界初だそうです。

北辻「日本人は、とことん追求していきますよね」

ボールペンで絵が描ける

北辻「さらにサクラクレパスは、ゲルインクでは、色とりどりのゲルインクを開発したんです」

ゲルインクには、金属やガラスなど、大きな粒子を入れることができるという特性があって、黒、赤、青だけではなく、黄色、緑、ピンク、紫、様々な色が作られています。

サクラクレパス社が最初に発売したのは1984年(昭和59年)。この時の色は40種類でしたが、今ではさらに多彩になっているんだとか。

ボールペンでカラフルな絵が描けるようになったのは、まさに日本の技術ゆえ。
欧米で生まれたボールペンを、目覚ましい改良によって進化させた日本は、まさにボールペン大国です。

北辻「『ボールペンはじめて物語』のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、自慢のインクとペン先によって、しっかりと書き込まれています」 
(尾関)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2022年09月07日07時40分~抜粋

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