多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

聖徳太子も履いていた!?知られざる日本の「靴」の歴史

CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』の「金曜コラム」では、毎週1つのテーマを取り上げ、CBC論説室特別解説委員の石塚元章が、堅い内容から柔らかい内容まで多角的に分析しています。

9月2日放送のテーマは「靴」。

もうおわかりかもしれませんが、放送日である9月2日は「く」「ツー」の語呂合わせで「靴の日」に制定されています。

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靴は何足持ってる?

「靴は何足持っていますか?」というアンケートを取ると、だいたい5~10足が多い回答者の層となります。

さらに多い11足以上と回答する人は男性で約8%、女性で約27%と、女性の方が靴を多めに持っていることがわかります。

服と同じく、TPOを考えてさまざまなバリエーションの靴を持っているのでしょう。

ファッション的な要素が大きいアイテムといえますが、原点に立ち返り、靴はどのようにして作られたのか、石塚は歴史をひも解いてみました。

靴のような物の登場は歴史的にかなり古く、土偶や埴輪の足元には裸足ではなく何かが描かれています。

また、北アメリカの先住民族はかなり昔から革で足を包んでいましたし、古代エジプトの人たちは紀元前3000~2500年ぐらいからサンダルのような物を履いていたそうです。

靴がオシャレアイテムに

最初は足を保護するという目的から、身分の差が現れたり、装飾という感覚が加わったり、背を高く見せたいという欲求を満たすものになったりと、時代が進むにつれて別の目的が加わっていきました。

古代ギリシャでは舞台の主役に厚底の靴を履かせることで、背を高く見せるだけではなく姿勢を良くする効果もあったそうです。

ベネチアではチョピンというかなり高い厚底の靴があり、貴族の女性や高級娼婦と呼ばれる女性の間で流行っていたそうです。

日本にも女性が履く高さが高い履物で、舞妓さんが履くこっぽりというものがあります。

高い履き物は女性のものだけではなく、男性もルイ14世などがかかとの高いハイヒールを履いていたそうです。
今もある形のヒールのことを「ルイヒール」と呼んでいます。

日本にも昔から靴があった

日本は靴よりも下駄や草履の印象が強く、何となく明治以降から靴を履くようになったイメージがありますが、実は古代の高貴な人たちは靴のような物を履いています。

聖徳太子の絵を見ると靴のようなものが描かれていますし、平安時代に蹴鞠をする時は鞠用の靴を履いています。

くつを漢字で書くと「靴」で革製を表していますが、昔は「沓」という字で革は使われていません。

もちろん、靴が一般的に広がったのは明治以降ですが、大きく普及したのは軍隊用の靴がきっかけ。

大村益次郎が靴を国産で作るべきだと助言し、明治の初めに西村勝三が初の国産洋靴を作り、後の靴メーカー「リーガル」へと発展しました。

「足元を見る」の語源は?

ファッションアイテム、あるいは速く走るための実用目的で利用される靴ですが、履いている人の判断にも使われることがあります。

人の弱点につけ込む意味の「足元を見る」というのは、もともと籠かきが客になりそうな人が履いているぞうりを見て、ぞうりがくたびれている人を見たら「この人は疲れているから、高い料金をふっかけてもそのまま払いそう」と判断するのに足元を見ていたところから来ているそうです。

今では弱点ではなく、服装がラフな人でも靴が高級だったらこの人はオシャレ、あるいはお金持ちそうという判断がなされたりしますね。

最後に石塚は靴について、単なる履き物ではなく、物語や歌でも一歩を踏み出すシンボルにも使われるとして、「洋の東西を問わず重要なアイテムにもなっている」とまとめました。
(岡本)
 
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2022年09月02日07時21分~抜粋

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