CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が日本で生まれたさまざまな事柄を解説する『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)の「日本はじめて物語」。
8月24日は「サイダーはじめて物語」。
日本の暑い夏欠かせない存在となったサイダーは、いったいどのように生まれたのでしょうか。
お酒じゃないけど酒の名前
多田「特に夏場、午後に飲むと美味しいですよね」
北辻「午後のサイダー、美味しいですよね」
炭酸飲料の発祥は紀元前の古代エジプトまで遡るそうです。天然に湧き出るガス入りの鉱泉は、当時から身体にいいと言われていたんだとか。
リンゴを発酵させて作る発泡酒をフランスでは「シードル」と言いますが、イギリスではこれを英語読みで「サイダー」と呼ばれていました。
アメリカでは少し変化して「ソーダ」となっています。
18世紀、イギリスで炭酸水を作る機械が発明され、もともとお酒だった「サイダー」は、ノンアルコール飲料として世界に広がっていきました。
日本の味が始まる
日本にサイダーがやって来たのは江戸時代末期のこと。
長崎にやって来たイギリスの船によって出島に持ち込まれたそうです。当時のサイダーは日本にやって来る外国人向けの飲み物で、日本人の口に入らなかったそうです。
その後1881年(明治14年)に来日していたイギリス人が、兵庫県多田村で炭酸水鉱泉を発見します。
この炭酸水は味もよく、三菱財閥系の会社がその鉱泉を買い取り、飲料として発売したそうですが、当時の日本人には、発泡性の水を飲む習慣がなく売れませんでした。
北辻「せっかく質のいい炭酸水なのに、どうしたらいいの?と考えたところ、そう言えば、江戸時代に味のついた炭酸水があった。
じゃあ、この炭酸水に味をつければいいじゃないか、と思い当たるわけです。ここから日本独自の味が始まりました」
茶色いサイダー
サイダーの味の要素には酸味、甘味、香りがあり、その中で最も苦労したのが甘味でした。
日本の水は、カルシウムとかマグネシウムの量が少ない軟水です。
ご飯を炊いたり、お茶を淹れたりするのには適していますが、湧き出てくる天然の炭酸水に、砂糖を入れるだけではうまく甘みがつかなかったそうです。
そこで砂糖を煮詰めて、糖分を凝縮させたカラメルを作り、それを炭酸水に混ぜる工夫をしたらうまく混ざったんだとか。
北辻「ですから最初の頃のサイダーって、今みたいに透明ではなくてカラメルの色で茶色っぽかったそうです。コーラではないですよ。サイダーがそういう色だった」
我ら、三ツ矢でござる
1907年(明治40年)に、国産第一号のサイダーが誕生しました。
名前は「三ツ矢印平野シャンペンサイダー」。長い名前のこの商品が、現在の「三ツ矢サイダー」に繋がっています。
その「三ツ矢」という名前は何に由来していたのでしょう?
炭酸水が湧き出たのは兵庫県多田村(現・川西市)でした。
ここには平安時代の昔から三ツ矢という姓を名乗る人たちがいたそうです。
その人たちが「矢が落ちたところに城を築くと栄える」との言い伝えで住み着いていた多田源氏の人々。
三ツ矢サイダーの名前の由来はそこから採られました。
ラベルのマークも三ツ矢姓の家紋を使ったと言われています。
サイダーは特別な飲み物
多田「戦後サイダーは人気が出て、私たちのこどもの頃は特別な飲み物でしたよ」
多田は1949年(昭和24年)生まれの73歳。
北辻「お客様に出すのがサイダーだったという思い出ありません?」
北辻委員は1959年(昭和34年)生まれの63歳です。
多田「ちょっとお金持ちの子のうちに遊びに行ったら、サイダーが出されてね」
北辻「それも夏の日の午後です」
多田「当時、氷がそう簡単に各家庭でなかったもんで、ただ冷やされただけだけど、ブクブク泡が出てね。ええ思い出やな。楽しかったなあ」
北辻「これを飲むと幸せな夏休みという感じがしましたね」
まだ戦後の空気から抜けきらない昭和の子供時代を振り返る二人でした。
それからずっと人気のある飲み物として今に至る三ツ矢サイダー。現在はアサヒ飲料グループによって製造・販売されています。
北辻「偶然見つかった炭酸水に、日本独自の味と香りを加えることで、多くの人に愛される飲み物が誕生しました。サイダーはじめて物語のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが泡のように消え去ることなく刻まれています」
(尾関)
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2022年08月24日07時43分~抜粋