CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』は1999年4月5日にスタートし、現在24年目です。
スタートした1999年には三井住友銀行、みずほ銀行といったメガバンクが誕生。さらにユーロの誕生といった出来事がありました。
そして8月9日放送で6,000回を迎えました。
『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』、気が付いたら放送6,000回
初代アシスタント
番組の愛称は『朝P・O・N』(あさぽん)。
この6,000回の間に、アシスタントを担当したのは十数名。そのうちの何人かが登場し、当時を振り返りました。
初代アシスタントは大橋麻美子さんと神尾純子さんでした。
〇神尾純子(1999年4月 - 2005年7月)
「番組を卒業してもう17年経ちました。今でも朝の目覚めは多田さんの第一声からです。世の中の出来事に鋭く切り込む、だけど、どこか温かい多田さんのキレキレのトークは今も健在ですね」
〇大橋麻美子(1999年4月 - 2000年10月、2016年4月1日 - 2017年9月29日)
「私がアシスタントを務めたのは2回です。1999年から2000年4月、朝P•O•Nの第一声は私なんですね。なつかしいです。
二度目は2016年から2017年、公私ともに出戻りまして、振り返るとこの番組は私生活でも非常に大きな影響があった番組です。自分のアナウンサー人生の起点となった番組でもあり、また人生の再出発で不安だらけのときに、また頑張っていけるかもと勇気を与えてくれた番組でもあります」
この6,000回の間に、アシスタントを担当したのは十数名。そのうちの何人かが登場し、当時を振り返りました。
初代アシスタントは大橋麻美子さんと神尾純子さんでした。
〇神尾純子(1999年4月 - 2005年7月)
「番組を卒業してもう17年経ちました。今でも朝の目覚めは多田さんの第一声からです。世の中の出来事に鋭く切り込む、だけど、どこか温かい多田さんのキレキレのトークは今も健在ですね」
〇大橋麻美子(1999年4月 - 2000年10月、2016年4月1日 - 2017年9月29日)
「私がアシスタントを務めたのは2回です。1999年から2000年4月、朝P•O•Nの第一声は私なんですね。なつかしいです。
二度目は2016年から2017年、公私ともに出戻りまして、振り返るとこの番組は私生活でも非常に大きな影響があった番組です。自分のアナウンサー人生の起点となった番組でもあり、また人生の再出発で不安だらけのときに、また頑張っていけるかもと勇気を与えてくれた番組でもあります」
番組の顔?
次は長い期間担当して、『朝P・O・N』の「顔」ともいえるお二人です。
〇中橋かおり(2001年10月 - 2008年9月)
「なんと21年が経っています。なつかしいです。あの頃は早朝の番組で、ほんとに遊んでくれるお友達がいなくて、ひたすらスポーツジムに行っていた記憶があります。あとゴルフとテニスのレッスン。
ジムで他のラジオを聴いていてこっそりペンネームで送っていたりしました。1回だけ採用されて、あの喜びはなんとも表現しがたかったです。本当に青臭いアシスタントだったと思います」
〇古川枝里子(2007年10月5日 - 2015年9月21日)
「2007年は、私は入社1年目の新人で、非常に緊張したのを覚えています。手が震えて、ニュース原稿が震えているのと、汗で原稿が濡れているのに衝撃を覚えました。勉強、勉強の日々でした。
記憶に残っているのが2012年の金環日食の日、CBCの屋上からリポートをお伝えすることになって。
その時に、同じ空を見上げているリスナーのみなさんがたくさんいて、その一体感を味わえたことに感動しました。みんなで共有する楽しみをもってマイクの前に立てばいいのかな、と気持ちを切り替えることができました」
〇中橋かおり(2001年10月 - 2008年9月)
「なんと21年が経っています。なつかしいです。あの頃は早朝の番組で、ほんとに遊んでくれるお友達がいなくて、ひたすらスポーツジムに行っていた記憶があります。あとゴルフとテニスのレッスン。
ジムで他のラジオを聴いていてこっそりペンネームで送っていたりしました。1回だけ採用されて、あの喜びはなんとも表現しがたかったです。本当に青臭いアシスタントだったと思います」
〇古川枝里子(2007年10月5日 - 2015年9月21日)
「2007年は、私は入社1年目の新人で、非常に緊張したのを覚えています。手が震えて、ニュース原稿が震えているのと、汗で原稿が濡れているのに衝撃を覚えました。勉強、勉強の日々でした。
記憶に残っているのが2012年の金環日食の日、CBCの屋上からリポートをお伝えすることになって。
その時に、同じ空を見上げているリスナーのみなさんがたくさんいて、その一体感を味わえたことに感動しました。みんなで共有する楽しみをもってマイクの前に立てばいいのかな、と気持ちを切り替えることができました」
夢の中でうなされた
〇南部志穂(2013年10月2日 - 2016年9月22日)
「『朝P・O・N』チームのみなさん、温かくて、のびのび楽しくお仕事をさせていただきました。
印象に残っているのは息子を妊娠してからの期間です。つわりで吐きそうになりながらニュースを読んだり、安定期になってからはニュースを読んでいると息子がおなかを蹴るんです。私しかわからないので密かに楽しみにしていました」
〇氏田朋子(2008年10月3日 - 2011年4月1日)
「今は自由にフリーアナウンサーでやっていますが、当時はCBCのアナウンサーでしたので、意外とちゃんとお仕事をやっていました。真面目にニュースを読む、多田さんのお話に大きくうなずく等々。
『小骨』のコーナーがあり、アナウンサーがネタを探してそれについてお話をするのですが、このネタを探すのがなかなか決まらず、夢の中でうなされたこともありました。『朝P・O・N』があったから、ここまでアナウンサーを続けられてきたと思っています」
リスナーも当時を懐かしく思い出したのではないでしょうか。
そして6,000回を背負ってきた多田しげおのすごさも感じたのではないでしょうか。
(みず)
「『朝P・O・N』チームのみなさん、温かくて、のびのび楽しくお仕事をさせていただきました。
印象に残っているのは息子を妊娠してからの期間です。つわりで吐きそうになりながらニュースを読んだり、安定期になってからはニュースを読んでいると息子がおなかを蹴るんです。私しかわからないので密かに楽しみにしていました」
〇氏田朋子(2008年10月3日 - 2011年4月1日)
「今は自由にフリーアナウンサーでやっていますが、当時はCBCのアナウンサーでしたので、意外とちゃんとお仕事をやっていました。真面目にニュースを読む、多田さんのお話に大きくうなずく等々。
『小骨』のコーナーがあり、アナウンサーがネタを探してそれについてお話をするのですが、このネタを探すのがなかなか決まらず、夢の中でうなされたこともありました。『朝P・O・N』があったから、ここまでアナウンサーを続けられてきたと思っています」
リスナーも当時を懐かしく思い出したのではないでしょうか。
そして6,000回を背負ってきた多田しげおのすごさも感じたのではないでしょうか。
(みず)
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