多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

名付け親はあの遊園地!ジェットコースターの「日本はじめて物語」

7月9日は「ジェットコースターの日」。全国の遊園地には、スリル満点のジェットコースターがあります。それでは、日本で初めてジェットコースターが設置されたのは、どこの遊園地なのでしょうか?

6日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』「日本はじめて物語」のコーナーでは「ジェットコースター」について、CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が解説しました。

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ジェットコースターのルーツは2つの説

ジェットコースターのルーツには、2つのユニークな説があります。

1つ目は、16世紀のロシア。氷で作った滑り台から、木製のソリで滑り降りて遊んでいたもの。2つ目は、19世紀のアメリカ。鉱山跡にある石炭を運ぶためのトロッコに乗って、炭坑内を走り回って遊んでいたものです。

とはいえ、これらは今のジェットコースターとはまだまだ異なります。

ジェットコースターがアトラクションとして初めて登場したのは、19世紀末。アメリカのニューヨーク郊外の遊園地だといわれています。

「10人乗り、全長13m、時速10km」と聞いて、思わず「はっ?」と気の抜けた声を出す多田しげお。ジェットコースターとは思えないほど、あまりにもスローな乗り物です。

当時はジェットコースターではなく、「ローラーコースター」という名前でした。
 

「日本独自の名前を付けよう」

ジェットコースターが日本に登場したのは、今から67年前の1955年(昭和30年)。東京の
水道橋にオープンした「後楽園ゆうえんち」 (現:東京ドームシティアトラクションズ) です。

当時、日本の遊園地はほとんどが郊外にあったため、後楽園遊園地は都心にできたこどもの遊び場として魅力的なスポットでした。

株式会社後楽園スタジアムが「なにか新しい、目玉になるアトラクションはないかな」と目を付けたのが、アメリカなどで人気を集めはじめていた「ローラーコースター」だったのです。

ローラーコースターは、レールの上を貨車が乱高下しながら走るもの。レールが立体化されているため、都心の限られた狭い土地を有効活用することができました。

日本初のローラーコースターは全長550m、高さは一番高いところで15m、最高速度は時速50km。後楽園遊園地は「日本独自の名前を付けよう」と考え、「ジェットコースター」という言葉が生まれました。
 

戦後復興の象徴

「ジェットコースター」は、「ジェット機のように加速して、空を飛び回る感覚」を名前にした和製英語です。

後楽園遊園地がオープンしたのが、1955年の7月9日。というわけで、7月9日は今も「ジェットコースターの日」といわれています。

多田「戦後10年でしょ。こういうものが登場したっていうのは、遊園地ではありますが、これもまた戦後復興の象徴のようなものだったということでしょうね」

北辻「ようやく家族でレジャーを楽しもう、という空気が日本全国にあふれ始めたころですね」

多田「10年経ったらもはや戦後ではないとか言われましたけど。これもそのうちのひとつだったんでしょうね」

国内最多!ナガシマの名物コースター

後楽園遊園地から始まったジェットコースターは、スピードとスリルを求めて進化を遂げます。

360度回転する「コークスクリュー」、真上に上って垂直に落ちる「ウルトラツイスター」、上半身を固定して足はブラブラの「インバーテッド」などなど。

三重県桑名市のナガシマスパーランドには、国内最多の12種類のジェットコースターが終結しています。

代表的なものは「スチールドラゴン2000」。全長2,479メートルと、世界で最も長いジェットコースターです。高さは最も高いところで97m、落差は93.5m。乗車時間は3分30秒、最高速度は時速153kmです。

全長1,500mの「白鯨」は、木と鋼鉄を組み合わせた木製コースター。その名の通りコースは真っ白です。以前、ナガシマスパーランドを象徴するジェットコースターであった「ホワイトサイクロン」の進化系ともいえるコースターで、最高速度は時速107kmです。

「アメリカの遊園地で生まれた乗り物は、あくなきスピードとスリルを求めて、日本の地で目覚ましい成長を遂げました。ジェットコースターはじめて物語のページでは、日本の文化のあゆみ、その確かな1ページがスピードと絶叫に包まれながら上り下りしています」と、まとめた北辻でした。
(minto)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2022年07月06日07時39分~抜粋

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