2月3日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』、加藤愛アナウンサーの「知ってるつもり?」は「どうして節分に大豆をまくの?」。
この日は節分で、家で豆まきをする家庭も多いでしょう。なぜ豆をまくのか、しかもなぜ大豆をまくのかを取り上げました。
甲南大学特別客員教授で農学博士の田中修先生に伺いました。
なぜ節分に豆をまくのか?
豆まきの意味
まず豆をまくという行事にはどんな意味があるのでしょうか。
田中先生「節分は季節の分かれ目の日です。病をふせいだり災いを遠ざける儀式を行う日とされています。それに使われるのが神様の力が宿っていると思われてきたお米、麦、粟、ひえ、豆のような穀物です。
昔の人は病気や災いをもたらしてくる魔物の正体を鬼だと信じていた。
だから節分の日に魔物の正体である鬼に出ていってもらうために、神様が宿っていると思われる穀物をまきました」
穀物に神様の力が宿っていると思われていたのですね。
田中先生「節分は季節の分かれ目の日です。病をふせいだり災いを遠ざける儀式を行う日とされています。それに使われるのが神様の力が宿っていると思われてきたお米、麦、粟、ひえ、豆のような穀物です。
昔の人は病気や災いをもたらしてくる魔物の正体を鬼だと信じていた。
だから節分の日に魔物の正体である鬼に出ていってもらうために、神様が宿っていると思われる穀物をまきました」
穀物に神様の力が宿っていると思われていたのですね。
なぜ豆?
では、穀物の中でなぜ豆が選ばれたのでしょうか。
田中先生「お米でもなんでもいいですが、豆の一番の特徴はもっとも大きいことです。大きい方が神様の力が多く宿っているというのがひとつの理由。
もうひとつは鬼に向かって投げるので、投げやすいということです。
地鎮祭ではお米をまきます。家を建てますから、工事を安全にお願いします、という願いを込めています。だから神様が宿っているお米をそっとそこにまきます。
一方、節分は投げやすいことが大事です」
多田は「確かに豆は投げやすいですね」と、納得。
田中先生「お米でもなんでもいいですが、豆の一番の特徴はもっとも大きいことです。大きい方が神様の力が多く宿っているというのがひとつの理由。
もうひとつは鬼に向かって投げるので、投げやすいということです。
地鎮祭ではお米をまきます。家を建てますから、工事を安全にお願いします、という願いを込めています。だから神様が宿っているお米をそっとそこにまきます。
一方、節分は投げやすいことが大事です」
多田は「確かに豆は投げやすいですね」と、納得。
なぜ大豆?
豆にも種類があります。なぜ大豆なのでしょうか。
田中先生「大豆はぽっこりと丸いです。昔の人は丸いものに太陽を思います。太陽は神様という信仰があります。だから、ぽっこりと丸い大豆が選ばれたという考えがあります」
多田「信心ですから、扁平なものよりは丸いものがいいですね」
大豆は生でなく炒ったものが使われます、その理由は何でしょう。
田中先生「昔の家は土間がありました。まき散らした豆が炒ってないと、今度、芽を出してきます。これは縁起が悪いです。だから芽を出さないように炒った豆をまいたのです」
田中先生「大豆はぽっこりと丸いです。昔の人は丸いものに太陽を思います。太陽は神様という信仰があります。だから、ぽっこりと丸い大豆が選ばれたという考えがあります」
多田「信心ですから、扁平なものよりは丸いものがいいですね」
大豆は生でなく炒ったものが使われます、その理由は何でしょう。
田中先生「昔の家は土間がありました。まき散らした豆が炒ってないと、今度、芽を出してきます。これは縁起が悪いです。だから芽を出さないように炒った豆をまいたのです」
魔物の目を射る
炒った豆を使うのには、他にもこういった説があるようです。
出て行ってもらうには鬼の目に豆を当てたらいいといわれています。鬼は魔物です。魔物の目に豆をあてたらいいということです。
魔物の目に豆を射る。この“魔目を射る”に“豆を炒る”を重ねたという説もあります。これもちゃんと記録になったものがあるそうです。
出て行ってもらうには鬼の目に豆を当てたらいいといわれています。鬼は魔物です。魔物の目に豆をあてたらいいということです。
魔物の目に豆を射る。この“魔目を射る”に“豆を炒る”を重ねたという説もあります。これもちゃんと記録になったものがあるそうです。
まいた豆はどうする?
大豆は食べ物です。まくのはもったいない気がします。まいた豆はどうしていたのでしょうか。
田中先生「まいた豆をそのままにしていたことはないと思います。例えば名古屋では節分に大豆をまきますが、東北地方や北海道では落花生をまきます。
なぜ落花生をまくかというと、拾い集めやすい。殻に入っていたら衛生的です。
ということは、まいた豆は拾うという習慣があったと思います。大豆は貴重なもので粗末に扱ったらあかんという考えは昔からあったと思います」
ちなみに、福山雅治ファンのAさんから「うちでは“鬼は外、福山は内”と言うことにしています」というおたよりが寄せられました。
それぞれの家庭でうちに来て欲しいものを考えてみるのも面白いかもしれません。
(みず)
田中先生「まいた豆をそのままにしていたことはないと思います。例えば名古屋では節分に大豆をまきますが、東北地方や北海道では落花生をまきます。
なぜ落花生をまくかというと、拾い集めやすい。殻に入っていたら衛生的です。
ということは、まいた豆は拾うという習慣があったと思います。大豆は貴重なもので粗末に扱ったらあかんという考えは昔からあったと思います」
ちなみに、福山雅治ファンのAさんから「うちでは“鬼は外、福山は内”と言うことにしています」というおたよりが寄せられました。
それぞれの家庭でうちに来て欲しいものを考えてみるのも面白いかもしれません。
(みず)
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