毎年1月28日は「日本一短い手紙」で有名な一筆啓上賞が発表される日。
今年は「こころ」をテーマに、応募総数46,912通の中から5篇が大賞に選ばれました。
そこで1月28日放送『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が、鉛筆や筆などの筆記具に関する歴史について調べ、紹介しました。
最初の筆記具は単なる棒?
筆記具といえば、今はだいたいシャープペンシルかボールペン。
ひと昔前なら鉛筆、さらにさかのぼると筆などがあげられますが、1番最初の筆記具は先がとがった単なる棒。
古代メソポタミア文明の時代はまだ紙がなく、粘土版などを用意して、とがった棒で板などを削ることによって、記録を残すという仕組みでした。
また、古代ローマ時代では、板の上にろうを薄く塗ったものを持ち歩き、そこに書いていたそうです。
昔、こどもの頃に木の枝を使って地面に文字を書いていたのと、理屈は同じです。
その後、きちんと跡に残るようなインクや墨が発明されるようになりますが、それに合わせて、とがった棒よりも書きやすい筆記具も発明されます。
ヨーロッパではインクを付けやすい羽根ペン、東洋では筆が現れました。
携帯筆記具の元祖
ただ、インクはインク壺に入っているものですし、墨はすずりで擦るものですので、書く時に手間がかかりますし、持ち歩くのも不便です。
そこで、今となっては当たり前すぎるものですが、筆記具とインクを一体化して持ち歩けるようになることで、筆記具は著しい進化を遂げました。
ペンは羽根ペンとインク壺のセットから、万年筆やボールペンへと進化しましたが、実は筆も同じように墨とセットになったものがあるのは、ご存知でしょうか。
今ではほとんど手に入りませんが、矢立(やたて)というものがあり、これは小さな墨壺に管がついていて、普段はその中に筆を収めておく物。
そうすると、筆と墨を一緒に持ち運びできるというわけです。
万年筆を作ったのは誰?
万年筆は最初、単にインクとペンが一体化した物でしたが、インクがこぼれやすいなどの欠点がありました。
今の形の万年筆の元を作ったのが、ルイス・ウォーターマンというアメリカ人ですが、元々は保険外交員だった人。
ある時、良い保険の契約が取れ、いよいよサインをしてもらう段階で、新品の万年筆だったにもかかわらず、インクが垂れて契約が台無しになり、その間に他の会社に契約を取られるという苦い経験があったそうです。
そこで、毛細管現象を応用したペンの芯を開発し、1880年代に今の万年筆の基礎を作りました。
日本では1932年(昭和7年)に阪田久五郎氏が、広島県呉市でセーラー万年筆を創業。
呉市といえば軍港、水兵ということでセーラーという名前がついています。
一方、並木良輔氏が1918年(大正7年)に純国産の万年筆を開発し、後に会社の名前を「パイロット萬年筆株式会社」としましたが、こちらのパイロットも水先案内人という意味で、船に関する名前。
並木氏が元々船乗りだったということから、この名前を付けたようです。
筆記具は文明の発展に必要
インクを付ける筆記具と形態が異なるものといえば、鉛筆。
自分の身を削ってものを書くという形式ですが、今の鉛筆の基礎を作ったのは、コンテというフランス人。
最初は黒鉛だけで作られていたのですが、そこに粘土を混ぜることと、比率を変えれば硬さが変わるということを発明しました。
鉛筆のHやHB、2Bといった種別を確立しました。
そして、今の形のシャープペンシルを作ったのは、日本の早川徳次氏、家電メーカー「シャープ」の創業者です。
筆記具でものを書くというのは、単に文字を書くだけではなく、記録を残すことで後世に伝え、文明を発展させるためになくてはならないものとなっています。
最後に石塚は、セルバンテスの「ペンは魂の舌である」、ブルワー・リットンの「ペンは剣よりも強し」という言葉を引用しつつ、「筆記具は書く道具を超越している」とまとめました。
(岡本)
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2022年01月28日07時21分~抜粋