多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

「アロハシャツ」は日本人の発明品だった!!

8月18日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』の日本で生まれた意外なものを紹介する「北辻利寿のコレ、日本生まれです」。ハワイの「アロハシャツ」を取り上げました。
厳密に言うと、ハワイに移民した日本人がハワイの地で生み出したものです。

いまや「アロハシャツ」はハワイを代表する商品ですが、どういう経緯で生まれたのでしょうか。

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シャツ職人宮本長太郎さん

ハワイの移民が始まったのが明治元年(1868年)。
サトウキビ畑で働く労働力が必要となり、明治政府が後押しして、大正時代までに20万人以上が移民しました。
アロハを考えだしたのは、この時の移民でした。

その方の名は、東京出身のシャツ職人の宮本長太郎さん。
もともと日本ではシャツの店をやっていた宮本さんは、移民後にサトウキビ畑における労働で資金を貯めて、ホノルルで「むさしや」というシャツの店を開業しました。
お店に反物を置き、注文を受けてシャツを作るというオーダーメイドの店でした。
 

着物でパラカ

またハワイにはポルトガルからの移民もいました。
一緒にサトウキビ畑で働いているその人たちが、パラカという開襟シャツを着ていました。これが風通しがよく着心地がよかったそうです。

日本人は着物を着ていましたが、擦り切れたらもったいないから、その布地でこども用にパラカを真似して開襟シャツを作っていました。

「むさしや」を開いた宮本長太郎さんは、これを店でも作り始めました。
長太郎さんが大正時代に亡くなった後お店を継いだのが、長男の孝一郎さんです。そしてお店の名を「ムサシヤ・ショーテン」としました。
 

「アロハシャツ」誕生

孝一郎さんは浴衣の生地でパラカのシャツを和柄で作りました。

そして1935年に、ハワイで新聞広告を出しました。
その文言は「アロハシャツ、よき仕立て、美しいデザイン、はれやかな明るい色。既製品と注文品あり」でした。

ここに初めて「アロハシャツ」という名前が誕生したのです。

「アロハ」はハワイで愛情や親愛を表す代表的な言葉です。
「おはよう、こんにちは、こんばんは、さよなら」、全て「アロハ」です。
 

アメリカ人もおみやげに

和柄で始まったアロハシャツは、やがてブーゲンビリアなどトロピカルな柄が加わります。

アメリカ本土との航路が開けて、本土から続々とリゾート地のハワイへアメリカ人がやってきました。
いいシャツがあると土産として持ち帰られ、本土のメーカーもアロハシャツの製造に乗り出してきます。

日本からもハワイへ行って、アロハシャツを買うようになりました。
 

今では正装

今やアロハシャツは冠婚葬祭、式典で男性の正装です。作業着、リゾートウエアを超えた存在になっています。

多田「最初は、サトウキビ畑で快適に仕事をするための作業着ではじまったものが、今では正装になっている。それはすごいことですね」

それを作り出したのがハワイの日本人だったのです。

最後に北辻委員はこう締めました。

「夢を抱いて太平洋を渡っていった日本人の移民たちがハワイの地で生み出したアロハシャツ。その色鮮やかなデザインとさわやかな着心地には、異国の地でたくましく生き抜いた日本人の開拓魂とふるさと日本への熱い思いが込められているんですよね。日本人が生んだアロハシャツは文化です」

ハワイに行ってアロハシャツを見たら、ちょっとこの歴史を思いだして、日系人の魂を感じてみるといいですね。
(みず)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2021年08月18日07時43分~抜粋

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