多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

社長も愛用。銭湯にあるケロリン桶の歴史に迫る

銭湯といえば、赤い字で「ケロリン」と書かれた黄色い桶を思い浮かべる方も多いでしょう。
あの桶はどうして誕生したのでしょうか。

6月3日放送のCBCラジオ『多田しげおの気分爽快~朝からP•O•N』では、加藤愛アナウンサーが「ケロリンの桶」について調べました。

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ケロリンは薬

そもそも桶に書いてある「ケロリン」とは、頭痛や生理痛に効く痛み止めの薬の名前です。
その痛み止めの薬ケロリンを製造販売している富山めぐみ製薬の社長、笹山敬輔さんにお話を伺いました。

富山めぐみ製薬は2018年に、富山の薬ブランドを育成することを目的に、内外薬品をはじめとする富山県の3社が共同で設立した会社です。
このうちケロリンを開発したのは内外薬品です。そのためケロリン桶には内外製薬と書かれています。
 

ケロッと直る

1902年、明治35年に創設された内外薬品がケロリンを開発したのは1925年(大正14年)のこと。フランスから輸入したアスピリンと生薬である桂皮を配合して作られました。

では、なぜ、この痛み止めの薬がケロリンという名前になったのでしょうか?

笹山さん「はっきりしたことはわからないんですけど、当時、痛みがケロッと治るということでケロリンとつけたんじゃないかなと思います」
 

ケロリン桶登場

ケロリン桶が登場したのは、前回の東京オリンピックの1年前、1963年(昭和38年)のこと。

もともと内外薬品では置き薬としてケロリンが好調だったそうですが、この時期になると、全国に薬局や薬店が増えてきました。
そういった店舗にもケロリンを置いてもらいたい、と宣伝の一環として出来たのがケロリン桶。

笹山さん「当時は、皆さん銭湯に行かれてましたので、銭湯の桶に広告をしたら、たくさんの人が見るんじゃないかということで、やってみたのが始まりです」

「1960年代は、全国的に銭湯が当たり前だった時です」と71歳の多田しげおも振り返ります。
またこの頃は、衛生上の問題から銭湯の桶が、木から合成樹脂に切り替えられる時期でもあったんだそうです。
 

関西だけ違う?

ケロリン桶は、東京駅八重洲口にあった東京温泉に置いたことがきっかけで、全国に広がっていったということです。
現在では銭湯、温泉、全国のゴルフ場などに広まっています。

そんなケロリン桶ですが、関西圏だけはひと回り小さいんだそうです。

笹山さん「当時、関西の方では浴槽からかけ湯をする文化があると言われまして、かけ湯をする時に、関東の桶だとちょっと重すぎて片手で持てない。なので、片手でかけ湯をしやすいようにひと回り小さいサイズになりました」

大阪出身の多田も「言われれば、蛇口からじゃなしに湯船から直接していました」と当時を振り返ります。
そもそも多田のこどもの頃は蛇口の設備がない銭湯もあり、湯船から直接、湯桶で汲むのは当たり前だったそうです。

ちなみに関東と関西では、ケロリン桶の重さが100グラムほど違うのだそうです。
 

銭湯から一般家庭へ

銭湯から始まったケロリン桶ですが、年々銭湯の数が減少しているにもかかわらず、製造出荷する量は当時と変わらないんだそうです。その量、なんと4~5万個。

実は販売先が銭湯から一般の人へとシフトしているそうで、街の量販店などに置いてあるのを見かけます。
もしかしたらリスナーの中にケロリン桶を使っている人がいるかもしれません。

ケロリンのサイトでは通信販売もしており、税込み1,430円です。
 

社長も愛用、ケロリングッズ

笹山さん「皆さん、会社名は知らなくても、桶も含めてですけども、ケロリンという名前で覚えて頂いてる方が多いので、やっぱり会社の顔ですし、代表なのかなと思ってます」

現在ケロリングッズは桶に限らず、バスタオルやフェイスタオル、ハンドタオル、ボディタオルにバスマット、スリッパなど、いろいろと展開しています。

富山めぐみ製薬の社長、笹山さんは自宅でケロリングッズを使っているのか気になった加藤が聞いたところ、「バスマットもタオルも使ってます」と答える笹山敬輔さんでした。

ケロリンは痛み止めの薬。使用上の注意をよく読んでお使いください。 
(尾関)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2021年06月03日07時41分~抜粋

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