多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

日本生まれの電気炊飯器、どこまで進化する?

普段意識していないのに、改めて日本生まれと知ると驚くものがあります。

5月12日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』の「北辻利寿のコレ、日本生まれです」では、電気炊飯器を紹介しました。

今はどの家庭にも当たり前のようにある電気炊飯器の開発秘話、販売の苦労などを探ります。
CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が開発の経緯を語ります。

[この番組の画像一覧を見る]

電化の時代

米を食べる習慣は世界中あちこちにあり、日本だけの文化ではありませんが、電気炊飯器を開発したのは実は日本です。

釜や鍋で炊いていた米を、スイッチひとつで炊ける電気炊飯器。

初めて発売されたのは1955年(昭和30年)。
当時は洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビが三種の神器と呼ばれ、いろいろなものが電化されていく中で登場したのが電気炊飯器です。

「手動から自動へ」が時代の流れでした。

三並義忠さんが着手

炊飯器を開発しようと考えたのは、電機メーカーの東芝(当時は東京芝浦電気)。
そこで東芝は東京で町工場をしていた三並義忠(みなみ よしただ)さんに開発を依頼しました。

愛媛県出身の三並さんは、小学校を出てすぐ上京したほどの機械好き。
工業技術で名を上げ、当時は進駐軍向けの電気温水器なども作っていました。
そこで世界初の電気による炊飯器開発に着手するのです。当時の三並さんは44歳でした。

理論はわかっていました。強火で一気に炊き上げればおいしいご飯が炊ける。
釜の水が沸騰してから20分加熱し、そこで電気を切ればいい。

それはわかっていても、それをどういう風に電気で行うかが問題でした。
さらに米の量とか、水の量によって変わる炊き上げ時間、季節ごとの気温への対応も変わります。
 

二重釜の発想

そこで気づいたのが、水の蒸気をタイマー代わりにできないかということです。
蒸気が出て温まった時、そこから自動的に時間が経ったら切るようにできないか。
そこで考えたのが釜を二重にすること。

ここで多田は思い出します。

「私のこどもの頃の電気炊飯器は釜がふたつ。お米を入れる内側の釜とその外側に釜があって、二重になってて、外釜に水をいれてました。外釜の水が水蒸気がタイマー代わりになるという仕掛け?」

北辻「この水が沸騰した時が100度です。それを自動的に検知する機械を入れて、ポンと切れるようにしました」

多田「内釜は季節によって、水の量によって、米の量によって違う。でも、外釜の水が沸騰したらスイッチオフにする。すごい発明ですね」

北辻「それまでは直接的に炊くのを間接的に炊くようになった。これが二重釜、間接炊きです」

こうして電気炊飯器が誕生したのです。
 

売れない!

次は販売です。ところが最初は売れなかった。

理由はふたつ。
ひとつは自動で米が炊けることに家電販売店が半信半疑で、なかなか商品として扱ってくれなかった。
そして値段が高かった。当時3,200円。大卒の社員の初任給が1ヶ月1万円だった時代です。

そこで東芝の販売員たちは、電気炊飯器を持って米どころの農村を回り、実演しながら販売しました。こうした努力が実り、4年後にはこの炊飯器が半数の家庭にまで普及しました。

多田「日本の各家庭のお米を炊くという風景が、たった4年で一変したわけですね」
 

進化する炊飯器

それから半世紀経ち、電気炊飯器も進化しました。1972年に電子ジャー炊飯器ができました。温かいまま保存できる機能がついたのです。
さらにマイコン内臓により、自動的に火力を調整してくれたりとか、少人数用のものとかが発売されました。

北辻委員は「いかに手間をかけず、いかにおいしく、食文化に欠かせない米を食卓にのせることができるかを追求したんですね。まさに日本生まれ電気炊飯器は文化です」とまとめました。
(みず)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
この記事をで聴く

2021年05月12日07時40分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報