多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

昭和の日に思い出す、高度経済成長期のココがすごかった

4月29日は昭和の日。

元号が昭和だった期間は60年以上という長い年月でしたが、大きな戦争という暗い影を落としていた一方で、高度経済成長という光の部分もありました。

この日の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、昭和にスポットを当て、あらためてどんな時代だったのかについて、パーソナリティーの多田しげおが語りつつ、昭和にヒットした曲を紹介。

その中でも、ここでは平成や令和では考えられないような話題について、ピックアップしてみました。

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毎年給料が1万円ずつ上がった時代

第二次世界大戦が終わったのが、1945年(昭和20年)。

その後、日本では1954年(昭和29年)に神武景気が起き、「もはや戦後ではない」といわれるようにまで経済が回復。

さらに岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気が起こり、高度経済成長期を迎えました。

好景気はさまざまなものを生み出し、今の日本の基礎となっています。

この間に新幹線や東名・名神高速道路の開通、家庭には三種の神器(白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機)と呼ばれた家電が普及し、物質的に豊かになっていきました。

また、1960年(昭和35年)に所得倍増計画が策定されたように、給料もどんどん上がっていく時代でもありました。

1968年(昭和43年)、大卒サラリーマンの初任給は3万円ちょっとでしたが、毎年5千円から1万円ほど上がり続けてきました。

1972年(昭和47年)放送局に入社した多田も、当時は「給料は年々1万円ずつ上がる」といわれていたとか。

元が3万円で毎年5千円ずつというのは、今となっては信じられない上がり方ですね。

その後、1996年(平成8年)に20万円弱で頭打ちとなり、25年経った現在もあまり変わっていないというのは、寂しいですが……。

多田は「所得も上がり、物質的にも豊かになり、明日はどんな新しいことがあるんだろうという、夢を持たせる時代でありました」とまとめ、橋幸夫さんと吉永小百合さんの曲『いつでも夢を』を紹介しました。

海外旅行が自由に行けなかった時代

本来はこの時期だと海外旅行に出かける人も多いのですが、昭和の時代に日本でも使われるようになった言葉の1つに「バカンス」があります。

かつては長期休暇を取ってゆっくり過ごすという概念が日本にはありませんでしたが、昭和の時代で海外へ自由に旅行ができるようになりました。

ここで、海外へ「自由に」旅行はできるのは当たり前ではないかと思われたかもしれませんが、実は日本では1964年(昭和39年)に海外渡航が自由化。

それまでは海外に行く際は、仕事や留学など何の理由で外国に行くのか、毎回申請してパスポートをその都度発行してもらう必要がありました。

今では1度パスポートを取得すれば、5年か10年間は何度も自由に出国が可能ですので、かなり異なります。

多田「海外渡航自由化になってしばらくして、学生時代に『グアムへ行こう』っていうポスターを見て。

最初悲しいかな、あんまりよくわかってなくて、『何のことだろう。海外へ行くとかどういう広告なんだろう』って思ったぐらい」

海外渡航が自由化された後は、旅行会社が企画したパックツアーが続々と誕生しましたが、今や個人が旅行の行程を自分で組んで行く時代に。

そして多田は、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」を紹介しました。
(岡本)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2021年04月29日07時20分~抜粋

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