多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

桜前線は津軽海峡を渡った!北海道の松前城では今が見ごろ

本州ではすっかり葉桜となっていますが、現在の桜前線は津軽海峡を渡った頃。
青森県の対岸、北海道の渡島半島の南端にある松前町では、今の桜が見ごろだそうです。


4月27日『多田しげおの気分爽快~朝からP•O•N』では松前の歴史ガイド飯田幸仁さんに聞きました。

[この番組の画像一覧を見る]

松前公園は今が見ごろ

松前町は、江戸時代では唯一北海道蝦夷地にあった「松前藩」があったところです。
桜の名所として知られる松前公園には松前城というお城もあります。

ソメイヨシノをはじめ250品種の桜があり、早咲きのものから遅咲きのものまで1ヶ月以上桜が楽しめます。今は、早咲きの八重桜が見ごろを迎えているそうです。

ちなみに一番先に咲き始めるのは、3月下旬に咲く冬桜という品種。

飯田さん「その頃は、暖かい日と寒い日が交互にやってきまして、冬桜が咲いた後にチラッと雪が降ったりしてました」
 

やっぱり早い桜の開花

最後に咲く桜は例年だと5月下旬だそうですが、今年はちょっと早くなりそうなんだとか。

桜の代表と言われる品種・ソメイヨシノは満開を過ぎ、花びらが散り始めているそうです。今年は4月16日の開花。平年より2週間早かったそうです。

ここ数年、桜の開花が早いようですが、それは北海道でも同じだそうです。

飯田さん「ちょっと調子が狂う感じがします」
 

幕末に建てられた城

前述の松前城はユニークな城として知られています。
各地の天守閣のある城は、戦国時代から江戸時代の初期にかけて建てられましたが、松前城は幕末期に建てられています。

飯田さん「もともと徳川家康の時代から松前藩がありましたが、実は本州と違って、この蝦夷地、北海道は国盗り合戦がなかったんですね。だから当時は城を築く必要がなかったんです」

しかし幕末になり、鎖国しきれずに外国からの攻撃が多くなると、それを防ぐために1854年、今の天守閣が建ったんだとか。
明治維新は1868年なので比較的最近の建築です。
 

国防の最前線

江戸時代、商売をメインとする「北前船」の往来が多数あり、松前藩は上陸する船に対して通行税を課していたんだそうです。

その上、戦争の心配がないので、松前藩のエリアがどんどん海に近づいていったということです。
最終的に一番近いところは海から距離にして約300メートル 。

幕末になり、外国船が出現したことから国防のためにその場所に建てられたのが松前城。普通の城と違い、かなり海に近い場所にあります。

そんな松前城、果たして外国船から守るという目的は果たせたのでしょうか?

飯田さん「実は外国船との戦争はなかったんですよ」

結果オーライです。しかしこの後、松前城が戦いに巻き込まれることになります。
 

松前城の変遷

松前城は明治元年(1868年)に起きた戊辰戦争で戦いの舞台となり、旧幕府軍の手に落ちています。
落城させたのは元新選組の土方歳三が率いる部隊でした。

戊辰戦争で多少の損害は受けたものの松前城は残ったそうです。
しかし残念ながら1949年、200メートル離れた役場の出火が原因で松前城は一度消失してしまいました。

その後、全国からの寄付と地元の努力で、1960年に現在の鉄筋コンクリート造りの天守閣が建てられたということです。
 

松前城を木造で復元?

飯田さん「実は最近、松前城の設計図が見つかりまして、それを元に忠実に、当時の木造天守を作ろうという動きが出てます」

現在の松前城は老朽化が進み、耐震性が危ぶまれています。
そこで、どうせ改修するなら木造で、という声が上がったようです。2019年には松前町長が天守を木造で復元する方針を発表しました。

現在、木造での復元は名古屋城、高松城でも検討されています。
松前城の木造復元はいつになるのでしょうか?

飯田さん「さあ、今のところは、まだまだ先でございまして」

木造復元と言っても、どこも簡単ではありません。しかしロマンはあります。とにかく今は目の前の桜。松前公園は今が見ごろだそうです。 
(尾関) 
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
この記事をで聴く

2021年04月27日07時23分~抜粋

関連記事

あなたにオススメ

番組最新情報