多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

意外!スリッパは日本人の偉大な発明品だった

今では日本中、いや世界中で誰もが履いたことのあるスリッパ。実は日本生まれだということはご存知ですか?

しかもスリッパが誕生したのは明治元年。
スリッパ誕生の歴史を紐解けば、日本とアメリカの外交摩擦を防ごうと奮闘した、その時代の人々の姿が見えてくるそうです。

4月21日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、CBC論説室の北辻利寿特別解説委員がスリッパ開発の経緯を語ります。

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西洋は靴文化

まずは、スリッパが生まれた経緯です。

北辻「江戸時代に遡ります。1853年(嘉永6年)ペリーが率いる黒船が横須賀浦和沖にやってきました。鎖国をやめて開国しろと。日本中大騒ぎです。

結果的には、日米和親条約が結ばれて、日本は国を開き、日本には西洋から続々と外国の皆さんがやってきました。

この西洋人たちは旅籠かお寺に宿泊しました。日本家屋にやってきて、扉を開けて何が起きるでしょうか?」

彼らは靴を履いています。西洋の文化では外で履いている靴のまま部屋に入ってきます。日本は土間でちゃんと脱いで、裸足になって上がってきます。

北辻「そうなると部屋は汚れる。畳は傷む。困ったことです。せっかくの開国がトラブルで外交問題に発展しそうになりました」

たかが靴、ですが生活習慣は変えられないもの。これが外交問題にまでなったら大変です。
 

スリッパの名の由来は?

北辻「そこで立ち上がったのが、明治になってから東京と呼ばれた江戸の八重洲で仕立て屋をやっていた徳野利三郎さん。
西洋人に靴を脱いでもらうのは無理だろうとなり、靴の上から履くことができる上履き、今でいうオーバーシューズを発案しました」

もともとイグサで編んだ畳表を和紙で補強したもので、形は小判形で、かかとはありません。

北辻「後にすっと足を滑らせて履くということでスリップ、そこからスリッパーと呼ばれました」
 

日本のスリッパ文化

やがて日本の文化が理解されるようになり、さすがに西洋人が土足で日本間へ入ることはなくなりました。けれども、スリッパなるものはずっと日本の文化の中で続いてきました。

北辻「明治に入って、洋館に住んで西洋風の生活をしたいという日本人も上流階級であって、そこでスリッパが日本家庭に入ってきました。

靴を玄関で脱いで、スリッパを履くというのが日本で生まれた独特のスリッパ文化です」

戦後は洋風化が加速し、現代では当たり前に室内履きとして利用するようになりました。
トイレ、ダイニングキッチン、来客用の洋間でも使うようになりました。
 

さまざまなスリッパ

そのスリッパ、今はいろいろな用途のものがあります。

例えば航空会社の機内サービスやホテルの部屋履きとして用意されています。

防災グッズとしてもスリッパは欠かせません。地震などで住戸内でガラスの破片などがある時に、足のケガを防ぐのに利用します。
冷え性対策としての温かいスリッパもあります。

北辻は「違った生活習慣をもつ外国人を拒否するのではなく、土足を日本的に包み込んで、外交摩擦を回避したスリッパ。まさに今日の日本外交にも教訓としたいような懐の深い発明だったと思います」と、まとめました。
(みず)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2021年04月21日07時42分~抜粋

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