京都市東山に「幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)」という飴があります。「京名物」といわれるくらい昔から作られています。作っている店も400年以上も続く老舗です。
11月25日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』、47都道府県を紹介する「日本全国47の旅」のコーナー、今回は京都府です。
京都市のこのお店の名前は「幽霊子育飴本舗」。20代目店主の段塚きみ子さんに多田が電話で伺いました。
やさしい母の愛の味
この飴は見た目はごく普通の昔からある飴。麦芽糖とザラメを使って作っています。見た目は琥珀色。
これを容器に流し込んで固め、トンカチで砕いて食べやすい大きさにすると、出来上がり。
この味も製法も400年の昔からまったく変えてないという、まさに京名物です。
「おはようございます」とかわいらしい声の段塚きみ子さん。
多田「素朴な感じの飴ですが、どういう味ですか」
段塚さん「やさしい味であまり甘くないです。母の愛の味です」
多田「『幽霊子育飴』という名前ですが、400年前からこの名前ですか」
段塚さん「いや、そうでないです。たまたま幽霊が買いに来たので、この名前に変えました」
段塚さんは名前のいわれを京都弁で教えてくれました。
名前のいわれ
段塚さん「今から421年前、1599年、関ヶ原の戦いの一年前です。お腹の大きな、もうじき生まれるというお母さんが亡くならはったんです。昔は、土葬だったので、そのまま土の中に葬ってしまはった。
そしたら、お墓の中で、赤ちゃんががんばって生まれてきはったんです。お母さんは自分が亡くなっておっぱいが出ないので、毎晩、幽霊になってこの飴を買いにきはったんです。
その当時は水飴で、お箸に巻いて売ってたんです。それでおっぱいの代わりになったんです。
昔、人が亡くならはったら三途の川を渡るお金、六文銭をお棺の中に入れはった。
その六文銭のある間は毎日一文ずつ持ってこられて、七日目からは自分にお供えしてはる葉っぱをちぎって持ってきはったんです。
おかしいなと思って、店のものがよう考えてみたら、いつも夜、店が閉まってから、トントンとノックして飴を一本わけてくださいという女性が来てる。
きっとその女性がそのお金を持ってきてるんやないかと思って、店のものがその女性の後を、そっとつけていった。
女性は自分のお墓の近くですーっと姿を消さはって、お墓の下から赤ちゃんの泣き声がしてきた。
お坊さんを呼んできて、一緒にそのお墓を掘りかえさはったら、赤ちゃんがこの飴を口にして生き延びてはったんです。
赤ちゃんを助けてからは、うちのお店には、その女性は一度も現れなかった」
お坊さんに
つまり、幽霊が子育てのために毎日飴をひとつ買いに来ていた。
そこからこの飴の名前が『幽霊子育飴』となったそうです。
多田「お墓から見つかった赤ちゃんは、その後どうなりましたか」
段塚さん「しばらくうちの飴屋さんで預かっていたんですけど、立本寺というお寺に引き取られて、8歳でお坊さんに。日審上人という全国的に有名なお坊さんになられて、68歳まで生きてはったんです」
この話は京都では有名な話だそうで、『まんが日本昔ばなし』(毎日放送系)にも何回か出ているそうです。
『また来ます』の言葉
多田「飴はどんな方が買いに来るんですか?」
段塚さん「おっぱいの代わりになった飴ですので、おっぱいがよく出ますようにと、妊娠されたり、出産されたりした時に親御さん、お友達とか、買いにきてくれはります。
それと、ものすごく立派なお坊さんになられたので『出世飴』とも言われています」
買いに来る人は、九州から北海道まで。
「『日本昔ばなし』に出たお店が今でも残っているというのが不思議」と言われるそうです。
段塚さんは「京都に来た時は『また来ます』と言って帰られます。それがうれしいです」と喜びます。
「幽霊子育飴」と聞くと、最初は少し怖い印象ですが、いわれを聞くと、「母の愛の味」の意味が伝わります。京都に行ったら訪ねてみたいですね。
(みず)
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2020年11月25日07時36分~抜粋