今年の9月11日は、東海豪雨から20年。
名古屋では当時、観測史上最高となる1時間あたり雨量97mmを記録し、特に都市部では多くの方が被害に遭い、日常から一変した浸水の様子を伝える映像は衝撃を与えました。
20年前のことではありますが、決して昔に限ったことではなく、今も局地的な大雨が日本を襲う状況は変わりません。
9月11日放送『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、東海豪雨で起きた災害がなぜ起きたのかをおさらいしました。
今後私たちはどうすべきなのかについて、『ゴゴスマ~GO GO!Smile!~』(CBC・TBS系)でもおなじみ、気象予報士でもある沢朋宏アナウンサーが解説しました。
東海豪雨から20年…あらためて気にするべき気象用語とは?
今も残る鮮明な記憶
東海豪雨は2000年9月11日の夕方から翌朝にかけて起きましたが、当時のことを鮮明に覚えているという方も少なくありません。
「あの日、私はあの雨の中をバイクで移動中でした。今までの雨の降り方とは全然違うと思いました。かっぱに当たる雨粒が大粒で痛かったぐらいです」(Aさん)
「私はその頃、11歳でした。家の中で話し声やテレビの音が聞こえない(ぐらい大きな雨音だった)。圧迫感を感じてしまいました。
停電し、こどもながら『この家、大丈夫かな?』ととても不安になりました」(Bさん)
「あの時私は夜勤で出勤する時でした。車で工場まで行く経路の水位が上がり、鉄橋の下は冠水しているところがたくさんありました」(Cさん)
多田は当時車に乗っていて、家の近くのいつも走っている道を通っていたのですが、「えっ、なんでここがこんな水位!?」と思ったとのこと。
普段水がやってくるなんて考えられない場所に、どんどん水が流れてきていたのです。
「あの日、私はあの雨の中をバイクで移動中でした。今までの雨の降り方とは全然違うと思いました。かっぱに当たる雨粒が大粒で痛かったぐらいです」(Aさん)
「私はその頃、11歳でした。家の中で話し声やテレビの音が聞こえない(ぐらい大きな雨音だった)。圧迫感を感じてしまいました。
停電し、こどもながら『この家、大丈夫かな?』ととても不安になりました」(Bさん)
「あの時私は夜勤で出勤する時でした。車で工場まで行く経路の水位が上がり、鉄橋の下は冠水しているところがたくさんありました」(Cさん)
多田は当時車に乗っていて、家の近くのいつも走っている道を通っていたのですが、「えっ、なんでここがこんな水位!?」と思ったとのこと。
普段水がやってくるなんて考えられない場所に、どんどん水が流れてきていたのです。
東海豪雨をもたらしたメカニズム
では、20年前になぜ、このような大きな災害が東海地方で起きてしまったのでしょうか?
沢アナは、近年よく出てくる気象災害の用語、例えば「線状降水帯」などが複合的に発生していたことを挙げました。
当時はそのような用語は使われていませんでしたが、実は今と同じようなことが起こっていたのです。
日本列島上空には秋雨前線がかかっていた一方、沖縄には大型で非常に強い台風14号が来ていました。
名古屋からは遠い場所にあった台風ですが、これが暖かく湿った空気を大量に東海地方にまで送り込むポンプのような役割をしたことで、紀伊山地に沿うように紀伊半島の東側を暖かい空気が北上。
伊勢湾を通りやがて陸地にぶつかると、目の前には岐阜などの山々があるため、空気は上に逃げていき、どんどん雲が発生。
さらに後ろから湿った空気がどんどん送り込まれていくため、積乱雲が大量に発生しては繰り返し雨を降らせました。これが東海豪雨の大まかなメカニズムとのことです。
現在、この現象は「バックビルディング」と呼ばれているそうです。
沢アナは、近年よく出てくる気象災害の用語、例えば「線状降水帯」などが複合的に発生していたことを挙げました。
当時はそのような用語は使われていませんでしたが、実は今と同じようなことが起こっていたのです。
日本列島上空には秋雨前線がかかっていた一方、沖縄には大型で非常に強い台風14号が来ていました。
名古屋からは遠い場所にあった台風ですが、これが暖かく湿った空気を大量に東海地方にまで送り込むポンプのような役割をしたことで、紀伊山地に沿うように紀伊半島の東側を暖かい空気が北上。
伊勢湾を通りやがて陸地にぶつかると、目の前には岐阜などの山々があるため、空気は上に逃げていき、どんどん雲が発生。
さらに後ろから湿った空気がどんどん送り込まれていくため、積乱雲が大量に発生しては繰り返し雨を降らせました。これが東海豪雨の大まかなメカニズムとのことです。
現在、この現象は「バックビルディング」と呼ばれているそうです。
小さな川から氾濫する現象も
当時、名古屋市天白区や緑区野並のあたりで川の水があふれ、大きな被害を受けました。
また西区の西南部と西枇杷島町でも大きな被害がありました。
こちらは庄内川の水かさが大きく増えることによって、支流の川である新川に逆流。
支流は小さく、堤防も高くないため、そこから街中に水があふれ出してしまったのですが、今ではこの現象が「バックウォーター」と呼ばれています。
20年前はこの言葉もあまり浸透していなかったため、特に警戒も呼びかけられていなかっただけで、実は20年前からこの現象が起きていたことが、後の研究でわかっています。
当時、気象台では強い雨が降ることを呼びかけていました。
しかし現在と違って、大雨警報が出る際に「気をつけるべきは土砂災害なのか浸水害なのか」と区別をつけて予測する技術がなく、事前の準備が十分できなかったということも考えられます。
ちなみに浸水害とは、内水氾濫、つまり下水道や排水路などでの排水が追い付かないことから起きる水害のことです。
また西区の西南部と西枇杷島町でも大きな被害がありました。
こちらは庄内川の水かさが大きく増えることによって、支流の川である新川に逆流。
支流は小さく、堤防も高くないため、そこから街中に水があふれ出してしまったのですが、今ではこの現象が「バックウォーター」と呼ばれています。
20年前はこの言葉もあまり浸透していなかったため、特に警戒も呼びかけられていなかっただけで、実は20年前からこの現象が起きていたことが、後の研究でわかっています。
当時、気象台では強い雨が降ることを呼びかけていました。
しかし現在と違って、大雨警報が出る際に「気をつけるべきは土砂災害なのか浸水害なのか」と区別をつけて予測する技術がなく、事前の準備が十分できなかったということも考えられます。
ちなみに浸水害とは、内水氾濫、つまり下水道や排水路などでの排水が追い付かないことから起きる水害のことです。
気象に関する技術の向上も
「バックビルディング」や「バックウォーター」といった現象が昔からあったということは、20年前と同じぐらい甚大な災害が、今後いつ起こるとも限らないということです。
その一方で、新たな分析ができるほど、気象観測に関する技術は上がっているとも言えます。
沢アナは東海豪雨について「今の技術を持ってすれば、もしかしたら前兆をとらえることはできていたかもしれない」としつつ、「実は気象と災害と予想の歴史は、そういった(災害と技術向上の)繰り返し」と語りました。
伊勢湾台風を契機に作られたのが富士山レーダー、東海豪雨がきっかけで水防法改正や気象業務の改善につながってきたという過去があります。
もちろん、災害が起きる前に改善される方が良いのですが、沢アナは「私たちは新しく出てくる情報をうまく生かせるように。1度起きた災害をもう2度と繰り返さないようにするためには、私たちは新たに提供されるようになった情報をどう生かすかが求められているのかと思います」と語りました。
昨年、千葉などを襲った台風19号ですが、もしこの台風が紀伊半島を直撃したら東海豪雨を超える被害が起きたであろう、という研究結果もあるそうです。
最後に沢アナはあらためて、「"いつか来る"ではなく、"いつ来てもおかしくない"という心構えが必要かと思われます」と注意喚起を呼びかけました。
(岡本)
その一方で、新たな分析ができるほど、気象観測に関する技術は上がっているとも言えます。
沢アナは東海豪雨について「今の技術を持ってすれば、もしかしたら前兆をとらえることはできていたかもしれない」としつつ、「実は気象と災害と予想の歴史は、そういった(災害と技術向上の)繰り返し」と語りました。
伊勢湾台風を契機に作られたのが富士山レーダー、東海豪雨がきっかけで水防法改正や気象業務の改善につながってきたという過去があります。
もちろん、災害が起きる前に改善される方が良いのですが、沢アナは「私たちは新しく出てくる情報をうまく生かせるように。1度起きた災害をもう2度と繰り返さないようにするためには、私たちは新たに提供されるようになった情報をどう生かすかが求められているのかと思います」と語りました。
昨年、千葉などを襲った台風19号ですが、もしこの台風が紀伊半島を直撃したら東海豪雨を超える被害が起きたであろう、という研究結果もあるそうです。
最後に沢アナはあらためて、「"いつか来る"ではなく、"いつ来てもおかしくない"という心構えが必要かと思われます」と注意喚起を呼びかけました。
(岡本)
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