多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

岩手県一関市に日本一の餅文化「うすばたもち」

6月1日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』の「日本全国47の旅」、今週は岩手県を紹介しました。
特に岩手県南部、一関市の周辺は「日本一の餅どころ」と言っていいようです。

正月、年越し、節句、お彼岸、お盆、結婚式、お葬式などの冠婚葬祭など何かあればお餅を食べ、お客さんが来ればおもてなしに出すという「餅文化」があります。

一関には「一関もち食推進会議」というグループがあり、会長である佐藤晄僖さんに多田しげおが電話でお話を伺いました。

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お餅のフルコース

多田「お餅を食べる機会はそんなに多いですか?」

佐藤さん「私どもはあまり意識してなかったのですが、言われるとそうかと思います」

一関市周辺には「もち暦」というお餅を食べる暦があるそうです。
農家が多数を占めていた頃、節句の他、農作業の節目、もちろん人生儀礼の時にも餅を食べていました。

また、お餅を食べる作法もあるそうです。

正式のお座敷の時ですが「もち本膳の儀礼」というものがあります。「もち本膳」というのは中の料理をお餅だけで整えたものです。

「お餅のフルコースですね」と多田は感心します。

しかも「もち本膳」には、「おとりもち」という進行役がいて、その方の指示に従って食べなけらばならず、好き勝手には食べられないそうです。
 

昔から米どころ

こうした文化はどのように始まったものなのでしょう?

佐藤さん「昔、伊達藩の儀礼としてできたものだそうです。一関は一関田村藩という、浅野内匠頭の切腹を預かった殿様ではありますが、いわゆる伊達文化圏の中に入ります。

昔から米どころだったそうで、一時期は伊達藩の米が江戸庶民の17、18%のお米をまかなっていたそうです」

多田「当然うるち米も、もち米も生産していた。一関にとってお米は宝だったわけですね」

当時から餅は上流階級だけのものではなく、庶民にも普及していたようです。
 

我が家の夕食が名物料理?

佐藤さんは「今でこそ名物だとよそに対して言っていますが、ただあまり一般的すぎて…」と謙遜します。

佐藤さん「この『もち食推進会議』は、一般的なものと思っていたものを、我が郷土の誇りとしてPRしようとしてできた会です。

最初の頃は地元の人に『餅なんつぅのは名物料理になんねえのさ』、と言われていました。我が家の夕食を名物料理にしようという感覚ですからね。でも、よそから見ると特別なんだねという感じです」

地元にあまりにも長く定着してきたものこそ、実は珍しく貴重だったりします。
 

お餅はお菓子ではない!

多田「現在はお餅にどんなものを入れるんでしょうか?」

佐藤さん「俗に300種類あると言われています。あんこ、ずんだ、くるみ、じゅうね(エゴマ)とか。
しょうが餅というのもあります。あんかけのあんのようなものにしいたけを煮たのを刻み込んでショウガをすり下ろしたものを加えたもので、甘くないです」

多田「これはもうお料理ですね」

佐藤さん「料理なんです! 実は、ある大手のスーパーの方が餅入り弁当を作ろうと見学に来られた時、担当の部長さんが開口一番に『あぁ、お餅って料理になるんですね』と言われて、こっちがびっくりしました。
『料理以外の何だ?』 つまり、お菓子だと思っていらした」

私たちには、お餅が料理という発想自体が新鮮に聞こえます。
 

餅つき機の所有率は?

かつて、一関市役所が2,000世帯を調べたところ、その約6割が電気の餅つき機を備えていたそうです。

他にもスーパーや道の駅では、真空パックのものでなく、つきたてのお餅を売っているそうです。

佐藤さん「このあたりではつきたての餅が最高のおもてなしとなっています。『うすばたもち』、臼のそばの餅をちぎって食べると一番おいしいという言葉です。

お餅についての思いを描いた『もち』という映画(小松真弓監督)があるんで、ぜひご覧ください」

お餅への熱い思いが伝わってきました。ぜひ「うすばたもち」を味わってみたいものです。
(みず)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2020年06月01日07時39分~抜粋

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