多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

意外と知らない!?名鉄に関する歴史からクイズを出題

2020年06月01日(月)

Chubuネタ

中京圏で最大手の私鉄といえば、名古屋鉄道。
JRグループを除いた私鉄では、総営業距離が近鉄・東武に次ぐ第3位です。

「名鉄」の愛称で広く知られていますが、5月29日放送『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、鉄道に詳しい沢朋宏アナウンサーが、名鉄に関するクイズを出題。

地元の方でも意外と知らなかったという情報があるかもしれません。

100年以上の歴史を持つ老舗

まずは名鉄の歴史からおさらいしてみましょう。

名鉄が生まれたのは1894年(明治27年)、民間の鉄道会社としては全国で3番目に誕生した老舗です。

当時は電車がなかったため、愛知馬車鉄道という名前で設立したものの、実際に馬車は走らせたことはなく、直後に名古屋電車鉄道に名前を変えています。

実際に電車を走らせたのは1898年(明治31年)ですが、わずか3年前に京都で日本最初の電車が運行していますので、名鉄は日本で2番目に早く走らせた電車ということになります。

もうちょっと早ければ、「日本の民間企業のうち、電鉄会社も放送局も名古屋が最初」と言えたところだったのですが……。

その後、名古屋電車鉄道は愛知電気鉄道や美濃電気軌道などと合併し、昭和に入ると新しい名古屋鉄道株式会社を発足。

さらに鉄道会社の合併は続き、戦後には豊橋から新名古屋駅を経て岐阜まで直通運転されるようになりました。

 

一番前に運転手がおらん!

1961年(昭和36年)には、前面展望車という名前でパノラマカーが登場。

多田「1972年(昭和47年)に名古屋に来てCBCに就職してパノラマカーを見た時、ビックリこきましたもん。『一番前に運転手がおらん!客座っとると。あの席絶対座ったろ』と思いましたからね」

今や他の特急でも採用されている形ですが、日本ではパノラマカーが先駆者。

このパノラマカーが名鉄を代表する車両となり、また、名鉄のイメージカラーが赤になったきっかけにもなっています。

ここで問題。
「なぜ、パノラマカーの色は赤にしたのでしょうか?」

解答者はいつものように加藤愛アナウンサー1人。

岐阜県養老町出身で地元の加藤アナは答えることができるでしょうか?
 

パノラマカーはなぜ赤い?

加藤アナ「今パッと思いついたんですけど、世の中空は青いし木は緑色だから、車両が赤だと映える。建物は赤いものがそんなに思いつかないので、赤なのかなと思いました」

なんと正解!多田も沢アナもビックリ。

沢アナは「名鉄は豊橋から岐阜まで全通してます。当時、濃尾平野は田畑が広がっておりました。その時、もう1つ色が提案されていて、赤か緑で染めようと。いろんな人に図ったところ、緑の中を赤い矢が駆け抜けていくのが目立つんじゃないかということになりました」と補足しました。

さて、色や展望台以外でパノラマカーの特徴といえば、「ミュージックホーン」。

警笛の一種、補助警笛として付けられているもので、列車が通過する時にメロディが奏でられます。

特に東海地方以外の鉄道ファンの方は、これを聞くと名古屋らしさを感じられるかもしれません。
 

名物のミュージックホーン

2問目は、このミュージックホーンに関する問題です。

パノラマカーが発表された当初は、ミュージックホーンを搭載することは公にされていませんでした。

問題は「パノラマカーが初めて走った時、ミュージックホーンがあることを突然世間は知ったのですが、なぜ名鉄は隠し続けていたのでしょうか?」

2問目も加藤アナは、ヒラメキで当てることができるでしょうか。

加藤アナ「多田さんのような電車が大好きな人を驚かせ、全国から集めるため」

残念ながら不正解。
事前に告知しておいて、出発式の時に大勢の人を集めた方が、より盛り上がるのかもしれません。

ヒントは「披露しなかったというよりも、披露できなかった」そうです。

加藤アナ「間に合わなかった?」

これも不正解。正解は「当時、ミュージックホーンは故障が多かったので、うまくいくかどうかの保証がなかったため」でした。

ミュージックホーンは「トランジスタ式電気笛」と呼ばれるもので、空気を使った従来の警笛よりも構造が複雑だったことが、成功しづらい原因だったようです。

ちなみにこの曲を作曲した方は、ミュージックホーンを製造された小糸製作所の社員さんということまでは判明しているのですが、具体的に誰なのかは秘密ということです。

また、昔よりもミュージックホーンを聴く機会が減ったと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは交通事情の改善により踏切が減ったことが原因と考えられます。

寂しいと感じる一方で、安全性が高まったと言えそうです。
 

名鉄が東京に進出?

最後は名鉄の意外な歴史からの出題です。

「名鉄は愛知県と岐阜県をエリアとした鉄道ですが、1964年(昭和39年)には、意外にも東京にも路線をつくっています。どことどこの間でしょうか?」

ヒントは、1964年は東京オリンピックが開催された年です。

加藤アナ「東京オリンピックといってもピンと来ないんですが、東京駅と、よく使うところ…新宿?品川?渋谷?」

どれも不正解で、山手線ゲームのようになってきました。

加藤アナ「あんまり知ってるところない…。東京の地名ですよね、表参道?(笑)」

正解は、浜松町と羽田空港の間。

関東以外の方でも、仕事などで東京によく行く方はピンと来たかもしれません。

多田「これってモノレールの走ってるところでしょう?」

沢アナ「ゴメンなさい。若干イジワル問題で、正確には名鉄が路線を持ったというのではなく、東京モノレールの開発や運行に名鉄が参画している。東京モノレールは名鉄のおかげでできた。

理由がありまして、モノレールはぶら下がるタイプとかまたがるタイプとかありますが、東京はまたがるタイプ。日本でそれより前にまたがるタイプのモノレールができていたのは1か所だけ、犬山遊園に行くモノレールだけだった」

当時は名鉄から出向されていた方も多く、駅では名古屋弁が飛び交っていたという話もあるそうです。
(岡本)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2020年05月29日08時14分~抜粋
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