『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』「日本全国47の旅」、4月28日の放送で紹介したのは香川県。
瀬戸内海に人口200人ほどの小さな島、粟島には「漂流郵便局」という名前の施設があります。
本物の郵便局ではなく、芸術家の久保田沙耶さんによる芸術作品です。
2013年に瀬戸内国際芸術祭が行われ、その作品のひとつとして製作したものだそうです。作者の久保田沙耶さんに伺いました。
4万通の届けられない手紙
「漂流郵便局」はもともとあった粟島郵便局の旧局舎を利用して作られています。
ここには届けたくても届けられない手紙が集まってきます。
例えば亡くなった方、未来のこども、もう連絡がつかなくなった初恋の人…、そういった宛先不明の手紙が集まってくるのです。
2013年の芸術祭期間中の1ヶ月間だけでも、約400通の手紙が届けられました。
芸術祭が終わった後も、漂流郵便局は残り、その後も続々と郵便物が届けられています。
久保田さん「最初は1ヶ月間だけのつもりでした。が、芸術祭という形だけで終わるのがもったいない、誰かの小さい日常とか文化になるようなことをしたい。それに、元郵便局長の中田勝久局長(86歳)が手紙を責任をもって受け付けたいとおっしゃてくださって、続けてることになりました。
続々とお手紙をいただき、6年目の今、4万通のお手紙を受け付けています」
4万通の中で多いのは、亡くなった方への手紙だそうです。
漂流私書箱
久保田さんはこの施設の中に「漂流私書箱」というものを作りました。届いた手紙を受け付けて、手紙を入れて天板を回すとさざ波の音が聞こえ、どこに手紙があるかわからなくなるという装置です。
手紙は展示はしているが、どこにあるかわからないそうで、まるで「時間のボトルメールみたいに、時間の海の波打ち際に手紙を流すようなイメージ」で作ったそうです。
当初想定していたのは2万通まででした。ところが前述のように、寄せられた手紙は4万通。
そこで中田局長が元局長たちのコミュニティを通じて呼びかけ、使われてない郵便局の仕分け棚を送ってもらいました。現在はそこに2万通入っている状態だそうです。
粟島からイギリスへ
届いた手紙はアート作品という扱いで誰でも読めるそうです。
「いらした方はお手紙を読んで、ご自分もお手紙を書かれて帰る方が多いですね」
実はイギリスにも漂流郵便局支店を作ったという久保田さん。
「もともと日本の郵便制度がイギリスが源流だ、と中田局長から伺ってリサーチに行ったところ、ご縁があってイギリスでもやることに。
ことばは違っても世界中から手紙が届いて、漂流郵便局にも今、『世界部門』というところがあって、海外の方のお手紙が置いてあります」
漂流郵便局は、瀬戸内海の小さな島から世界に広がっていきました。
響き合う手紙
漂流郵便局宛に手紙を出して、自分の手紙を探しにいらっしゃる方も多いそうです。
ただ4万通あるので、探すのに丸一日かかります。
「ところが、探しているうちに出会った手紙が自分と同じような体験だったり、自分と重なることがあったりしていくうちに、まなざしがちょっと変わっていって、自分の手紙を見つけたときにはなんだか違うような気持ちで手紙を見て、また、手紙を書くということが起こっているようです」と、久保田さん。
漂流物の島
多田「芸術作品としてはどこが一番のポイントですか?」
久保田さん「実は最初に粟島に訪れたのは2012年の7月でした。降り立った瞬間に港にものすごい量の漂流物がありました。シーグラスや、ペットボトル、イカ釣りのガラスとか、見たこともないようなものもたくさん落ちている。
後で調べたら、紀伊水道と豊後水道という水脈がぶつかっている地点に粟島があり、漂流物で地層ができた島なんです。
島の真ん中どころに廃郵便局(旧粟島郵便局)がありました。中に入ると、郵便設備がとても整っています。
かつていろいろな出来事があったろうと思いを馳せていたら、自分もここに流れ着いたような気持ちになりました。言葉にできない畏怖の感情が生まれ、追体験できる場として漂流郵便局を作ろうと思いました」
多田「宛先が書けない人への思いがあれば、粟島の漂流郵便局宛にお手紙を出してください。さらには機会があればぜひここを訪ねてきてくださいということですね」
久保田さん「この時期こそ、お手紙を送ってください」
漂流郵便局
〒769-1108 香川県三豊市詫間町粟島1317-2
母の日が近いこともあって、『漂流郵便局 お母さんへ』という、お母さん宛の手紙を収録した本が小学館から出版されたばかりだそうです。
(みず)
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2020年04月28日07時36分~抜粋