日本の三大そばといえば、岩手県の「わんこそば」、長野県の「戸隠そば」、そして島根県の「出雲そば」ですが、この出雲そば、実は食べ方が変わっていることで有名なんです。
12月5日放送『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』では、その出雲そばの魅力について、出雲観光協会の古島尚さんに、パーソナリティーの多田しげおと桐生順子がお話を伺いました。
味も食べ方も一味違う!出雲そばの魅力とは?
そばの香りが楽しめる
この出雲そば、3段重ねの割子そばで、見た目は普通のそばよりも色が濃く、黒っぽい感じになっています。
これは「挽きぐるみ」という手法により、そばの実を殻ごと挽くことが原因で、その分、そば特有の香りが楽しめます。
古島さんは、「中の甘皮というのに香りが強いものがあり、それが全部入ってますので、風味が高いそばになっています」と説明しました。
見た目や香りにも特徴があるだけではなく、食べ方にも特徴があります。
普通はだしつゆが入った器にそばをつけて食べますが、出雲そばは食べ方が逆なのだそうです。
古島さん「普通はそばちょこというのがだいたいあって、そこにだしが入っていて、つけて食べるんですけど、出雲そばはだしをかけるんですよね。そこに薬味を入れて、だしをかけて、かき回して食べるんです」
これは「挽きぐるみ」という手法により、そばの実を殻ごと挽くことが原因で、その分、そば特有の香りが楽しめます。
古島さんは、「中の甘皮というのに香りが強いものがあり、それが全部入ってますので、風味が高いそばになっています」と説明しました。
見た目や香りにも特徴があるだけではなく、食べ方にも特徴があります。
普通はだしつゆが入った器にそばをつけて食べますが、出雲そばは食べ方が逆なのだそうです。
古島さん「普通はそばちょこというのがだいたいあって、そこにだしが入っていて、つけて食べるんですけど、出雲そばはだしをかけるんですよね。そこに薬味を入れて、だしをかけて、かき回して食べるんです」
他の地域の人がビックリする食べ方とは?
ただ、出雲そばは3段重ねです。
1段目でだしをかけて食べ切ると、2段目、3段目はだしがないプレーンの状態で食べるということになるのでしょうか?
古島さん「1段目を食べて、だしが余るじゃないですか。余っただしを2段目にかけるんですね。2段目も食べ終わったら、3段目にかけるという」
多田「ということは、1段目で全部かけちゃえと」
古島さん「1段目で全部かけると味が濃くなっちゃうので、調整しながらかけて」
変わった食べ方ですが、中には違和感を覚える人もいるかもしれません。
多田「これ古島さん、自分の(残した)ものですけど、食べ残ったおつゆをかけるということになるわけですね。最近、潔癖症の特に若い人、観光客で他の地域から来て驚く人はいませんか?」
古島さん「まず、だしをかけるというのがわからないという方も結構いらっしゃって、そば湯があるんですけど、そこにだしを全部入れて、そこにつけて食べようとする方もいらっしゃいますね」
ほとんどの観光客の方は、食べ方を知らないものと思われますので、店の方が説明したり、先にイラストなどで説明するお店もあるそうです。
1段目でだしをかけて食べ切ると、2段目、3段目はだしがないプレーンの状態で食べるということになるのでしょうか?
古島さん「1段目を食べて、だしが余るじゃないですか。余っただしを2段目にかけるんですね。2段目も食べ終わったら、3段目にかけるという」
多田「ということは、1段目で全部かけちゃえと」
古島さん「1段目で全部かけると味が濃くなっちゃうので、調整しながらかけて」
変わった食べ方ですが、中には違和感を覚える人もいるかもしれません。
多田「これ古島さん、自分の(残した)ものですけど、食べ残ったおつゆをかけるということになるわけですね。最近、潔癖症の特に若い人、観光客で他の地域から来て驚く人はいませんか?」
古島さん「まず、だしをかけるというのがわからないという方も結構いらっしゃって、そば湯があるんですけど、そこにだしを全部入れて、そこにつけて食べようとする方もいらっしゃいますね」
ほとんどの観光客の方は、食べ方を知らないものと思われますので、店の方が説明したり、先にイラストなどで説明するお店もあるそうです。
変わった食べ方が生まれたきっかけは?
この変わった食べ方ですが、すでに江戸時代からあったそうで、歴史を感じさせます。
もともとは屋外で食べるそば弁当のような形で、だしが余って困った時にこのスタイルが生まれたそうです。
そして、なぜそばが島根で流行っていったのかについて、古島さんは、「昔、松江藩のお殿様に信州の方がいらっしゃったので、そばの文化が入ってきて、そこからお茶の文化が深くなっていって、外でお茶を飲みながらという形で、この食べ方が(広まっていった)」と説明しました。
(岡本)
もともとは屋外で食べるそば弁当のような形で、だしが余って困った時にこのスタイルが生まれたそうです。
そして、なぜそばが島根で流行っていったのかについて、古島さんは、「昔、松江藩のお殿様に信州の方がいらっしゃったので、そばの文化が入ってきて、そこからお茶の文化が深くなっていって、外でお茶を飲みながらという形で、この食べ方が(広まっていった)」と説明しました。
(岡本)
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