多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

台風と太平洋戦争の意外な関係

2019年07月01日(月)

カルチャー

四国の南で発達中の熱帯低気圧が台風に変わり、令和初の台風3号となりました。

6月28日放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、気象予報士・沢朋宏アナに、リスナーから「熱帯低気圧と台風は何が違うんですか?」という疑問が寄せられました。

「台風は、熱帯低気圧がよりパワーアップしたもの」という漠然としたイメージはあるものの、実際にはどのような違いがあるのでしょうか。

帰還できなかった飛行機

沢アナによると、違いはたったひとつ「風の強さ」。

熱帯低気圧の中心付近の風の強さが最大風速17.2mを超えた時に、熱帯低気圧は台風へとランクアップされます。

多田「どうやって測るの?その真ん中の」
沢「実はこれ、測ってないんですよ」
多田「えっ?誰かが手突っ込んで、『うわーすごいな!』じゃなしに?」

実はこの最大風速、推測から数値が出されます。

「気象衛星ひまわり」でとらえた雲の画像から、台風の渦の巻き方、目の大きさや形をもとに中心換算する式があり、それに基づいて推定しているのです。

沢「昭和20~30年台は、実際に飛行機突っ込ませて観測してたんですよ」
多田「その飛行機って帰ってこないの?」

沢「はい」
多田「えっ…」

台風の横から雲の渦に突入して観測していた時代は、飛行機が戻ってこれなくなることが幾度となくありました。

あまりにもリスクが高すぎるため、この方法は収束していったのです。
 

南からの低気圧はすべて台風!

「17mとか18mとすればええんちゃうの?」

「17.2m」という中途半端すぎる数字に注目する多田。

このすっきりしない数字には、なんと太平洋戦争が大きく関わっていたのです。

太平洋戦争が始まる前、昭和初期の日本には、台風の風の強さの基準がありませんでした。

そのため、とにかく南方から来る低気圧をすべて「台風」としていたのです。

現代における台風の発生数は年間平均26個。
戦前の日本が台風と呼んでいた低気圧の数は、平均10個程度。

現代よりも、はるかに台風の定義がゆるかったはずの昔の方が圧倒的に数が少なかったのは、なぜなのでしょうか。
 

台風と戦争

その理由は単純明快、「観測網がなかったから」です。

「気象衛星ひまわり」もなければレーダーもない時代。

「海の生まれ、海の上で死んでいく台風は、まったくのカウント外」(沢アナ)だったのです。

日本における台風認知、平均10個の時代は昭和10~13年ぐらいまで続きましたが、昭和15年に台風の日本の認知数が49個に跳ね上がりました。

これは、日本軍の南方への進出により、パラオなどの島々に観測所が作られたため。

台風の認知数の上昇には、日本軍がその地域まで進出していた、という歴史の一側面があったのです。

そして終戦の年(昭和20年)に、台風の数は再度激減します。
 

トロピカルデプレッション

現在の基準になったのは、1953年(昭和28年)。

天気の良し悪しで攻撃の有無が決まるため、気象は軍事に直結しています。
そのため、アメリカ進駐軍の指導により、日本でもアメリカ流の基準を導入することになりました。

このアメリカ軍の基準「トロピカルデプレッション」が、34ノット。
この数字を日本式に直すと17.2m。

この基準が、現在も続いているというわけです。

多田「台風も、戦争と軍のものと密接につながってたということですね」
沢「それこそ戦時中には台風の接近さえも報じられないという時代もありましたから」

1949年生まれの多田も驚いた、戦争と台風の意外な関係でした。
(minto)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2019年06月28日08時04分~抜粋
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