多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

トライアスロン大会に「ふたり同時ゴール」が多いのは、これが理由だった

『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』の「日本全国50音の旅」では、日本全国いろいろな町を紹介しています。4月16日は米子市です。

米子市は鳥取県の西の方にあり、人口およそ15万人。実は米子市は日本でのトライアスロンの発祥の町だそうです。

トライアスロンはもともとハワイで始まったと言われています。日本で初めてトライアスロンの大会が行われたのが、1981年の夏、米子市の皆生(かいけ)温泉でした。

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なぜ皆生でトライアスロン?

トライアスロンは「鉄人レース」ともいわれ、水泳、自転車、長距離走の3種目を連続して行い、そのタイムを競う競技です。
最初に行われた皆生のトライアスロンは、水泳が2.5km、自転車が63km、長距離走が36.5kmという距離でした。

皆生トライアスロン協会の副競技委員長の高木均さんに、その経緯や大会の様子などを電話で伺いました。

1981年頃は、一般的にトライアスロンについてほとんど知られていない状況でした。それをなぜ、皆生温泉でやることになったのでしょうか。

高木「1981年は、皆生温泉の旅館街が確立してからちょうど60周年でした。何か記念事業を、ということで、旅館の若手経営者が集まっていろいろ検討しました。

テーマとして、温泉街の目の前が日本海なので、海を生かしたい。
温泉街はお色気ムードで売っていましたが、これからは健康の時代だということで、健康的なイベントがいい。
欲張って、どうせやるなら日本一か、日本初と言えるものをやりたい。

この3つのテーマで探していたら、誰かの『ハワイに遊びに行った時にトライなんとかという、3種類のスポーツを続けてやるものがあるらしい』という言葉がきっかけになりました」

こうして日本初のトライアスロン大会が開催されることになったのです。
 

マイクロバスで次の地点へ

第1回大会の参加者は53名。
初めてのことで、運営の苦労もあったようです。

高木「一番大変なのが道路。近くに国道が走っていて、警察の道路使用許可が出ない。

道路が一部使えないので、水泳を終わった選手は8km離れた自転車競技場まで、旅館のマイクロバスに乗せて運ぶ。自転車競技が終わったら、また、マイクロバスに乗せて、皆生に帰ってくる。

マイクロバスにはとりあえず到着した順番に乗り、かたまりがあったら5人一組でドンと乗って次の地点まで運ぶ」

当然、この移動時間もタイムに入ります。

高木「マイクロバスが間に合わない方はタクシーを用意します。中には運転手さんが気を利かせて抜け道を使って先回りしたり」

多田「それは気を利かしたのか、ルール違反なのか微妙ですね(笑)」

高木「上位の方は、順位はきちんと順序通り自転車コースに入りましたが、真ん中あたりはあやしいです」

今となっては笑い話ですが、みなさん初の体験で大変だったようです。
 

第一回チャンピオンは意外な人!

そして第一回のチャンピオンがすごい人でした。

高木「フォークシンガーの草分けと言われる高石ともやさんです。“走るフォークシンガー”と言われていました」

もっと意外なこともありました。

「第一回優勝者はお一人でなくて、二人いました。もうひとりは下津さんという熊本の方です。

ずっと二人でマラソンコースをデッドヒートしてきて、最後の数百メートルのところで、あうんの呼吸で、どっちか一人だけがチャンピオンになるなんてもったいない、二人で分かち合おうと、同じ気持ちになったそうです」

最後は、二人で手をつないでゴールインという感動的なシーンが生まれました。
このシーンが全国のテレビ芸能番組、スポーツ番組に取り上げられ、大きな話題になりました。

多田「よくトライアスロンの大会で、最後に選手と応援の方と手をつないでゴールする姿がありますが、その最初がここだったのですね」

高木「この写真が全国に広まって、手をつないでゴールするトライアスロンって素敵じゃないかと広まりました」

このエピソードに、多田は「米子がすべての意味で日本でのトライアスロン発祥の街ということですよね」と感心しました。

皆生トライアスロン大会はその後も続けられ、今年も7月に第39回全日本トライアスロン皆生大会が開催されるそうです。
(みず)
 
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2019年04月16日07時42分~抜粋

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