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知っておきたい!なぜこの3人は新札の肖像に選ばれた?

2019年04月12日(金)

カルチャー

4月9日の午前、麻生太郎財務相が一万円札、五千円札、千円札の3種類の紙幣のデザインを、2024年度上半期に一新すると発表しました。

翌10日の『多田しげおの気分爽快‼︎』では、このニュースについてCBC論説室の石塚元章特別解説委員が解説しました。
新札の顔となる3人は、それぞれどのような偉業を成し遂げ、なぜ肖像に起用されたのでしょうか。

日本の資本主義の父

一万円札の肖像が変わるのは、1984年(昭和59年)以来40年ぶりとなります。
次の顔は「日本の資本主義の父」と言われる渋沢栄一です。

「なぜ『資本主義の父』かと言うと、フランスから"株式会社"という仕組みを日本に持ち込んだ人だからです」

渋沢氏は幕末の人。1867年のパリ万博に幕臣の一人として随行しました。フランスをはじめヨーロッパを回って"株式会社"なるものに出会います。

当時の日本は株主が株を買う形で資本を出して、それを元に民間が運営する企業という概念がまだない、あるいは漠然としている頃でした。
 

会社だけじゃない

明治維新後に帰国した渋沢氏は、"株式会社"のシステムを日本に普及させて、自分でも数多くの会社を作り経営していきました。

「今に残っている大きな会社。あの会社もそうなの?この会社もそうなの?っていうぐらいいろいろ渋沢栄一さんが関わっていたんです」

みずほ銀行の元である当時の第一国立銀行や、東京証券取引所も渋沢栄一氏が作った民間企業です。

「民間企業だけじゃなくて、団体、教育機関だとか社会事業、そういうものにも熱心だったんです。
日本赤十字会とか結核予防協会、関東大震災の後には復興のための組織を作るなど、600ぐらいの組織を作っています」
 

落選の理由はヒゲ

「渋沢さんの思想の根底には、幼少のころ学んだ『論語』がありました。生き方としての哲学があって、儲けるためにやるんじゃない。儲けたら、それを世の中に返さなきゃダメだという思想があったんです。そこが後の経済界に愛されたところです」

パナソニックの創業者、松下幸之助氏も盛んに「商売は世のため人のため」と言っていましたが、経営哲学として一番最初に唱えた人が渋沢栄一氏。
この人がいてこそ、明治以降、日本にまともな企業精神ができてきたわけです。

「それを忘れてしまったような経営者や政治家が、チクッっと感じてくれればありがたいんですが…」と石塚さん。

ちなみに渋沢さんは、以前にもお札の肖像候補になったことがありました。
1963年(昭和38年)伊藤博文と千円札の座を争いましたが落選したのです。

その理由は、なんとヒゲを生やしていなかったから。
当時は肖像画のヒゲが、偽造防止に役立っていたようです。
 

厳密には二番手?

そして五千円札は2004年以来20年ぶりとなる変更。肖像となるのは、津田塾大学の創設者、津田梅子氏です。

「日本で初めての女性留学生。6歳でアメリカに留学して、約11年後に帰国。戻ってきた時には英語の方が得意で、日本語を忘れかけてたそうです」

それまでは、遣唐使、遣隋使から始まって海外で学んできた例は日本史上いくらでもありましたが、基本的に男性ばかり。
明治時代になり、女性も学ぶべきという声がようやく挙がり、留学して。今で言うところの女性の帰国子女第一号となったのが津田梅子氏。

「厳密にいうと、この時の留学は女性が5人行ってて、お二人が先に帰ってるんです。帰ってきた順番で言うと二番手になるかもしれません」
 

何もしない明治政府にショック

当時の女性には高等教育どころか、今でいう義務教育レベルの教育すら不要と考える人の多い時代でした。
アメリカ留学から帰った津田氏は、日本における女性の地位の低さに驚いたそうです。

しかも、同行した男性の留学生には役人や大学教授のポストが用意されていたにもかかわらず、帰国した女性には何のキャリアもなかったそうです。

「明治政府はアメリカで学んできた私を使って日本の教育を良くするはずだ、と思ったら何もしてくれない。それが彼女には衝撃的だったそうなんです」

この時に感じた不条理が、後に津田塾大学の創設に繋がっていたわけですね。
 

お札の縁

千円札も五千円札同様に20年ぶりの刷新となります。
こちらの肖像に起用されたのは北里柴三郎氏。今回の3人の中では、教科書に出てくるので一番有名かもしれません。

「北里さんは『日本細菌学の父』と呼ばれています。香港でペストが流行った時に乗り込んで行って、ペスト菌を見つけました。病気への対策は予防が大事だと予防医学の重要性を説きました」

実は北里氏の弟子には野口英世氏がおり、1984年(昭和59年)に先生に先んじて千円紙幣の肖像になっています。
また、伝染病研究所設立の際、支援したのが福沢諭吉氏。ご存知のとおり、現在の一万円札に起用されています。

「明治になって、日本は外国から学んで近代国家にならなきゃっていう時に、それぞれの分野で頑張った3人ということです」

明治初期に、日本を特に精神的に近代国家にさせた3人。各分野で後進の育成にも力を入れていたそうです。

「これを機会に3人について学ぶと、我々の生き方もちょっと変わるかな、という人たちです」と語る石塚特別解説委員でした。 
(尾関)
 
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2019年04月10日07時20分~抜粋
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