多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

城の石垣はどうやって造られているの?お城博士に聞いてみた。

愛知県名古屋市の名古屋城では、本丸の北東部の石垣を約15年かけて解体し、来年度にも約4,000個の石を積み直すことが計画されています。

最近は局地的な大地震や豪雨といった未曽有の自然災害で石垣が崩れ落ちたりしていますが、その一方で石垣の価値を見直そうという動きも広まっています。

そこで11月16日の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では「お城博士」広島大学名誉教授の三浦正幸先生にお話を伺いました。

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日本最古の石垣

日本最初の石垣は、今から1350年前、飛鳥時代に作られたそうです。

朝鮮半島で「白村江の戦い」がありました。日本と百済の連合軍が唐と新羅の連合軍に敗れ、今度は唐と新羅の連合軍が日本に攻めてくるのではと、北九州から瀬戸内海にかけて城を作り始めました。

この時作られたのが日本初の石垣です。百済からもたらされた技術が使われました。
全部で10カ所くらいあります。一番高いので高さ5m。ほぼ垂直で見事に立方体です。1350年間崩れておらず、現存しています。

次に石垣が出てくるのは鎌倉時代末の蒙古襲来です。高さ3mくらいの石垣の堤防を数キロメートルに渡り、博多湾沿岸に作られました。万里の長城を短くしたようなイメージです。

多田「防備という意味で、石垣は大きな効果があったのですか?」

三浦「そうでもないです。結局、石垣よりは土で作った土手の方が防御は強いです。石垣は石と石の間に隙間があります。その隙間に手足がかかりますから、割と簡単に登れます」
 

お城の石垣の最初は信長

要塞を固めるための石垣は室町時代の末、450年ほど前にできました。

織田信長が愛知県に小牧山城を造っていますが、その上の方にだいたい3mくらいの石垣があります。これが城郭の石垣のほぼ最初のものです。
新しいもの好きの信長が、石垣を城で使うという斬新な発想をしています。

高さ3mの石垣は防備性というより、権威の象徴です。

これ以降作られた城郭では、石垣が高くなっていきます。
本格的に石垣が防備の役に立つのは安土城からです。

多田は「伝説に残る、すべての本格的な城はここから始まる、という安土城ですね」と感心します。
 

安土城登場

日本で初めて高層建築が石垣の上に建ったのも安土城です。
石垣を組んで天守台を作り、そこに天守を建築していきました。

現代の3、4階建てのビルに相当する高さ10mくらいの石垣ですが、当時日本最高の高さを誇りました。その上に直接7階建て(地下一階を含む)の天守を乗せたのです。

石垣は戦術でなくて、戦略兵器です。敵となりそうなものに見せつけて、戦わずして相手を従わせる。一番得策です。
 

秀吉が全国に広める

それ以降、いろんな城で高い石垣が作られるようになります。

とりわけ戦国武将では、豊臣秀吉が石垣を好んでいました。天守も大好きな秀吉は天下統一とともに日本全国に石垣と天守をどんどん普及していき、配下になった大名に石垣を造らせました。

多田「大阪城も、熊本城もそうですね」
 

石を調達して運ぶ

石垣作りには大量の石が必要となります。いったいどうやって調達したのでしょう?

三浦先生によれば、最初の頃は全て現地調達だったそうです。
豊臣秀吉が建造した大阪城でも現地調達でした。
お寺の墓石から、隣の古代の宮殿の礎石や古墳の棺桶など、使える石はなんでも持ってきました。

その後、豊臣家が滅んだ後に徳川が作った現在の大阪城には、小豆島から運ばれた石が使用されています。

あれだけの大きな石はどうやって切断していたのでしょうか?
まず、切手のきりとり線のように石へ点々と穴をあけます。深さ12cm、長さ12cm、幅3cmの穴をV字型にあけます。これを矢穴といいます。
ここに鋼鉄の楔である矢をつっこんで、大きな金づちで上から突いて割ります。この方法では最大で5m程度の石は割れるそうです。

江戸時代になって作られた城の石は、前述のように遠くから運ばれていました。

まず運搬路を石で舗装します。そこに丸太のコロを並べ、その上に修羅(シュラ)という木で作った大きなソリみたいなものを乗せて台車にします。修羅に乗せれば10トンくらいの石なら簡単に動いたのだそうです。
 

石の積み方の手順

石の積み方についても聞きました。

どんな物体でも三点以上で支える必要がありますが、そもそも石と石は形が合っていません。
従って石を乗せたら、表面に近いところでとりあえず当たります。内部に近い後ろは細くなっていますから、自由に角度が変えられます。

石垣は角度がついて傾いていますから、表面の角度にあわせて、石の向きを決めます。決めたら後ろから飼石(かいいし)を差し込んで止めていきます。表面の方で上下の石がくっつく。後ろの飼石で角度を決めて固定します。
通常は石自体の重みで強固になるわけです。
 

石垣の裏側は?

多田「表面がきれいな石垣がありますが、あれは相当高等な技術ですか?」

大量に石垣を造る場合、化粧用の石を石切り場で作ります。割る時に規格を作って割れば、だいたい同じような四角の石が割れます。これにより隙間をなくすことができます。
わずかな隙間に化粧用の石を正面から入れていきます。これで表面がきれいになるのです。

前述のように裏側では角度を自由に変えられ、さらに飼石で止めていますが、石垣そのものは傾いていますから、そのままだとどんどん後ろに倒れてしまいます。
そこでさらに裏込 (うらごめ)石を入れます。河原にある20~30cmの丸い石などを内部から丁寧に詰めます。この裏込石のおかげで、表の石が後ろにひっくり返らないようになっているのです。

古い時代に作られた石垣の場合、石がまず1mくらいあって、その後ろにだいたい2~4mの幅で裏込石がぎっしり詰められています。さらにその後ろに土があり、これで石垣は固定されます。
 

日本最高の石垣は?

多田「最後に、いちばんここの石垣がいいというのはありますか」

三浦「徳川が造った大阪城です。高さ33m、日本一。マンションでいうと11階建てです」

多田「秀吉が造って跡形もなくつぶされて、その後、徳川の造った石垣で、それが今も残っている」

三浦「石垣がどんどん発展して、その最高の技術で造っていますからきれいです。名古屋城もいいですよ」

石垣はロマンがありますね。どうやって造ったかなどを想像するとより味わいが深まりますね。
(みず)
 
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2018年11月16日08時13分~抜粋

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