多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

諏訪湖で行われた日本初のスケート大会

長野県の諏訪湖は日本のスケート競技大会発祥の地です。
日本で初めてのスケート大会が行われたのは1906年(明治39年)のこと。
出場者、観客全部合わせて1万人という大規模な大会だったそうです。

9月17日の『多田しげおの気分爽快‼︎』では、この大会について下諏訪町宿場街道資料館の専門研究員・小口徹さんに伺いました。

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当時の日本のスケート事情

日本初のスケート大会が諏訪湖で行われたのが1906年。まだ日本ではアイススケートが普及していない頃です。
そもそもなぜ、諏訪湖が選ばれたのでしょうか?

「もともとはヨーロッパの方でスケートが流行っていたようで、大使とか行使で来日したヨーロッパの方や、あるいは留学していた方が向こうでその面白さを学んで、こっちへ来てもやりたいということで、東京に一番近くて良い氷が張る諏訪湖が選ばれたようです」

スケート自体、まだまだ普及してない頃です。スケート靴はどうしていたのでしょうか?

「当時、スケート靴は外国から輸入したり、日本で似たようなものを作ったようなんですけれども、値段が平均で当時30円。今の金額で言うとだいたい30万円ぐらいしたそうです」

「うわ、高っ!」

小口さんの説明に思わず素に戻る多田しげお。
国産の安いものでも今の金額で大体4万円ちょっとぐらいだったそうです。
気軽にスケートができる値段ではありません。一般の人はどうやってスケートをしたのでしょうか?

スケート靴を自作

「下駄の歯を切り取ってそこにスケートのブレードを付けたんです。いわゆる鉄板をつけたようなものですね。当時、厚さが6ミリぐらいあったものを叩き出して作ったようなんです」

小口さんの説明に「それでも6ミリのものを作れたんですね」と感心する多田。

小口さん「厚くてですね、フィギュアですから先端と後ろの方がぴょんと丸く上がっていたやつで」
多田「そこまで正確にブレードを作れたんですね。日本人すごいなあ」

下駄に取り付けてしまうというのは凄い発想ですが、その前に流行っていたのが「下駄スケート」とも言われた鎹(かすがい)付きの下駄だったそうです。

下駄ならではの利点

「鎹っていうのはホッチキスの針のお化けみたいなもんで、それを下駄の下に縦に打ち込んだものです。ただエッジがなかったのでスピードは出ませんでした。当時は図形を描いたり、ターンをしたり、それだけのフィギュアスケートだったんです」

鎹付き下駄が進化して、ブレード付きの下駄になりました。鼻緒付きのスケート靴とも言えそうです。
「これには良いところもありまして、サイズフリーであること」と小口さんの言葉に、思わず笑う多田でした。

一台を兄弟みんなで使うとか、学校では40台ぐらいを購入して、こどもたちが使いまわしていたということもあったそうです。
「なるほどね。サイズフリー」と多田は感心しきりです。

スケート大会=運動会?

日本初のスケート大会では、どんな競技種目が行われたんでしょうか?

「それが面白いんですけれども、別名、氷上運動会とも言いまして、当時のプログラムを見ますと、例えば『変装競争』とか…」

「ちょっと待って!今でいうコスプレですか?」と思わず話を止める多田。

その他には「5人連鎖競争」というスケートのムカデ競争。さらには、みかん食い競争、スプーンレースなど、まさに氷の上でする運動会の様相です。

「スケートが庶民にも使えるようになったということで、みんなでスケートに親しもうというコンセプトだったようですね」と話す小口さん。

戦車も乗った諏訪湖の氷

「参加者、観客が1万人が集まったんですよね。諏訪湖はもちろん完全結氷ですけども、とは言え、1万人が乗っても大丈夫なんですね?」と半信半疑の多田。

「一般的に氷の厚さは当時30センチくらいあったようですが、この年は結構、寒い年だったようです。あと戦車が乗ったという話もありますので丈夫だったと思います」

小口さんが言うように戦車が乗れるなら、1万人ぐらいは余裕だったのでしょう。

しかし現在の諏訪湖は完全結氷しないシーズンもあり、だんだんと氷の厚さも薄くなってきてるようです。

「厚さ10センチ以上になると御神渡りができるんですけども、今年の冬に出来ましたが、それ、4年ぶりだったんですよね」

御神渡りとは諏訪湖が全面結氷した時に出来る氷の亀裂です。諏訪大社の神様が上社から下社へ渡った跡とされています。
これにも温暖化の影響が表れているのでしょうか。

運動会からスピード競技へ

「氷上運動会もタイプが変わりまして、明治41年(1908年)に諏訪湖一周スケート大会というのが行われました。約15キロを速い人で40分45秒という記録があります」コスプレやみかん食い競争から、だんだん今のスケート競技種目に近づいてきました。

「そのあたりからスケート大会の性質が変わりまして、後はもう、ずーっとスピードに偏ってくることになります」と言う小口徹さんでした。

現在、長野県は北海度と共にスピードスケートが盛んな地域。平昌で大活躍した小平奈緒選手は諏訪湖のある諏訪市のとなり、茅野市の出身です。今年の冬は御神渡りが見られるかも気になるところです。
(尾関)
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2018年09月17日07時38分~抜粋

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