昭和の映画黄金時代、映画鑑賞には新聞紙が必需品だった?

多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N / カルチャー

憲法記念日の5月3日、『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、休日特集として日本映画の主題歌を放送しました。

68歳の多田しげおにとって話に熱の入る話題ということもあり、予定していた曲の半分しかオンエアされない事態になりましたが、一方で平成生まれの山内彩加アナウンサーは、映画鑑賞そのものの違いにショックを受ける展開に…。

ニュー・シネマ・パラダイスの時代

渥美清の『男はつらいよ』の主題歌で始まった日本映画特集は、石原裕次郎、美空ひばり、加山雄三など銀幕のスターたちによる昭和の名曲が続きます。

そこにリスナーから思い出の綴られたおたよりが届きます。

「私のこどもの頃は、田舎にもかかわらず、すぐ近くに日活系と東映系の二つの映画館がありました。私の家のすぐ隣は日活系の映画館で、私は小さい頃からよく映画を見て育ちました。その映画館のオーナーが私をとてもかわいがってくれ、新しい映画が入るたびに無料で見せてくれました」(62歳・Aさん)

多田も当時を振り返ります。

「そういう時代ですね。私は68歳、この世代はこどもの時、家の近所に必ずと言っていいほど映画館があって、映画を見にいくというのが楽しみでした。その映画もこども向けでなく、大人の映画なんですけど、映画を見ることで大人の世界を知るというか、今となっては社会見学でしたね」

1988年に公開されたイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』(監督:ジュゼッペ・トルナトーレ)で描かれたような光景が、昭和の日本にも存在したのです。
フィルムの時代ゆえ、映写機の音まで聞こえるようです。

怪獣映画ベストワンは『モスラ』

名優たちの歌に続き、『モスラ』(監督:本多猪四郎)の紹介です。
1961年(昭和36年)に夏休み映画として公開されました。

多田「その頃は2本立てが当たり前で、これは(加山雄三の)若大将シリーズとの2本立てで、わくわくして映画館に行ったという覚えがあります。

東宝の怪獣映画といえばゴジラシリーズですが、昭和30年代は『空の大怪獣ラドン』(1956年・監督:本多猪四郎)など、ゴジラ以外の怪獣をメインとした作品も制作されていました。

多田「私、東宝の怪獣映画シリーズ大好きで、中でも、私の一イチ押しはダントツでこの『モスラ』です」

その理由は、愛と感動のストーリーにあると言う多田。

舞台はインファント島という架空の島。ここで発見され、見世物として日本に連れていかれた2人の小美人(演じたのは人気双子デュオのザ・ピーナッツ)を助けに、インファント島から東京へやってきたモスラが、幼虫・繭・成虫の成長描写とともに描かれます。

そして円谷英二特技監督による特撮についても触れる多田。CGなどない時代のカメラワークやミニチュアワークなど「日本特撮の神様」と呼ばれた円谷特撮について語ります。

多田「リアルですごいな、とこどもながらに思いました。その二つが織り込まれたということで、今のゴジラも含めて、怪獣映画としてはこの『モスラ』が私はベストワンです」

熱い語りの後に流れたのは、ザ・ピーナッツが歌う劇中歌「モスラの歌」です。

映画館に新聞紙?

ところで、平成生まれの山内アナはひたすら聞き役に徹するばかりです。

「今日の特集は多田さんが熱く熱く語るほど、右のスピーカーからは多田さんの熱い声が、左のスピーカーからは温度の低い冷えた声を感じます。彩加さん、多田のおじいちゃん頼むね~」(Bさん)

そんなメッセージの後、映画黄金時代を送ったリスナーからのおたよりが紹介されます。

「こどもの頃の映画館をどうしても思い出しますね。新聞紙を持参して行ったものです。映画館は必ず超満員で、まず座れません。通路に新聞紙を敷いて、そこに座って見ていたものです」(Cさん)

山内「え?えー、ホントに!?」
多田「1994年生まれの山内彩加からすれば…」
山内「信じられない!絶対座れるものだと思っていました」
多田「ずっと立ったまま見るとか。その頃、大人になったら背が伸びて欲しいな、映画館で立ってても後ろからちゃんと見られるからと思ったものです」

最近の映画は、あらかじめネット予約で席を確保し、冷暖房の効いたシネコンで座って見るのが当たり前の時代。満席になれば「別の時間を選んでください」とメッセージが出て、立ち見など出来なくなりました。

神社で『モスラ』?

「さっきの『モスラ』、私が見たのは映画館ではありません。近所の神社で屋外にスクリーン立てて映写機セットで見ました」(66歳・Dさん)

山内「神社で…!?信じられない」
多田「学校の校庭で映画会とかあるんです。野外ですから夜しか上映できないです。夏休みなんか夜出て行くのが楽しかったですね」

昭和時代は、学校の体育館、地域の集会所、大きな工場の講堂など、スクリーンが張られればどこでも映画館となっていました。

映画が一番の娯楽だった時代の思い出は尽きません。
そういえば、そもそも「ゴールデンウィーク」という言葉は、この頃、映画界が作った言葉でした。
(みず)
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2018年05月03日07時58分~抜粋

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