多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

ジャズ喫茶にマンガ喫茶…日本の喫茶店の歴史をひも解く

4月13日は「喫茶店の日」ということで、13日放送『多田しげおの気分爽快!!朝からP・O・N』では、喫茶店の歴史について、CBC論説室の石塚元章特別解説委員が説明しました。

喫茶店と言えば、名古屋ではモーニングサービスが充実していることが全国的に有名ですが、「喫茶店の日」の由来となったのは東京のお店で、1888(明治21)年、上野に日本初と言われる喫茶店「可否茶館」が開業した日から来ています。

ちなみにこのお店は3、4年程度で閉店してしまい、店名の読み方が「かひさかん」や「こーひーちゃかん」などの説があり、実際は不明だそうです。

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銀ブラの語源はブラブラ歩く以外も?

この「可否茶館」は、ビリヤード台やシャワー室などもあるような極めて先進的なお店だったのですが、時代が早すぎたことや、場所が悪く、銀座や横浜だと成功したのではないかという評価もあるようです。

その後、明治40年代に銀座で「カフェーパウリスタ」が誕生し、ジョン・レノンとオノヨーコ夫妻が来日した時に何度も立ち寄ったことでも知られています。

こちらが成功したのは、日本からブラジルへ移民を送る事業を手掛けていた人が創業し、ブラジル政府との関係が密であったためにブラジルのコーヒー豆を安くあるいはタダで仕入れることができたからと言われています。

ちなみに昔の流行語だった「銀ブラ」という言葉は、銀座でブラブラ歩くという意味が定説ですが、銀座のカフェーパウリスタでブラジルコーヒーを飲むという説もあるそうです。

純喫茶の「純」って何?

外国のカフェ文化が明治時代に日本へ入ってきましたが、その後、日本の喫茶店は独自の進化を遂げています。

元々、日本ではお茶を飲む習慣が古くからあり、奈良・平安時代に中国からお茶が伝わり、江戸時代には茶店があり、庶民がお茶とだんごを楽しんでいました。

喫茶店の競争が激化すると、アルコールを提供したり、女性がサービスを行うなど、風俗的な側面を見せるようになった時期もあったそうで、それに反して「ウチはまともにお茶を提供するお店ですよ」と表すために「純喫茶」と掲げるところができました。

今でも豪華な内装を施した、純喫茶のお店を見かけることがあります。

また、音楽を楽しむのがメインだった「歌声喫茶」「ジャズ喫茶」、クラシックを聴かせる「名曲喫茶」などが誕生したり、「マンガ喫茶」から「インターネットカフェ」に進化し、今や簡易宿泊所と化したりもしています。

他には70年代後半のインベーダーブームの際に、ゲーム機が付いたテーブルでインベーダーを楽しむ喫茶店が大流行しました。100円玉を積み上げながら何度もプレイした方も多いのではないでしょうか。

70年代は喫茶店の時代だった

石塚は、喫茶店の歴史を調べているうちに、「喫茶店の時代と言えるのは、1970年代ではないか」と思ったようです。

その理由について、喫茶店というフレーズが曲名や歌詞に入っている曲を年代問わず調べていくと、1970年代に集中していることが分かったためです。

『学生街の喫茶店』(ガロ)は1971年、『まちぶせ』(三木聖子、後に石川ひとみがカバー)は1976年、『ハロー・グッバイ』(柏原芳恵)の元となった『ハロー・グッドバイ』(アグネス・チャン)は1975年、『青春の詩』(吉田拓郎)は1971年です。

若者にとっての喫茶店文化のピークが1970年代と言えそうです。

多田は「当時のデートは、喫茶店に行って何時間も話すことだった」と語り、今だとデートの途中で休憩するのにカフェを利用しているように、使い方は変わっています。

総務省の統計などを調べたところ、店舗数のピークは1981年で、1960年代の終わりと比べて6倍ほどに増えているという点で、1970年代が喫茶店の全盛期だったことが、データでも裏付けられました。

最後に石塚は、「昔の喫茶店も今のカフェも、空間を楽しむという点では同じ」とまとめました。
(岡本)
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2018年04月13日07時20分~抜粋

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