多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

シャチホコってそもそも何?海のシャチと関係あるの?

昨年7月、愛知県犬山市の国宝・犬山城に雷が落ち、天守閣北側の一体のシャチホコの尾びれの部分が破損。
奈良県の焼き物屋さんが見事に同じものを作り上げ、先月26日には取り付け工事が行われました。

さて、そもそもシャチホコとは一体何なのでしょうか。
そして、なぜお城の上に乗っているのでしょうか。

3/13放送の『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』では、名古屋のシンボル「シャチホコ」を取り上げました。
広島大学大学院 文学研究科の教授で文化財学専門の三浦正幸先生にお話を伺いました。

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空想上の生き物


"シャチ"と名が付くくらいですから、海にいるシャチと何か関係があるのでしょうか?

「全く関係はないですね。シャチというものは空想上の動物でしてね、中国の人が考え出したんです。中国人が付けた空想上の動物を、今度は本当にいる動物に明治になってから名前を付けたのが日本人なんです」(三浦先生)

お城の上にいるシャチは、14世紀頃に中国で生まれた空想上の生き物を具現化したもの。
頭は龍、胴体は魚、背中には棘があって、口には鋭い牙がある。

これを昔の人が形にしたものが、シャチだといいます

昔はクジラ?


「そういう風にいえば、海にいるシャチとは全然違いますよね」と、多田しげお。

海のシャチについて元をたどると、驚きの情報が出てきました。
なんとシャチは、江戸時代まではクジラと呼ばれていたんだとか。
ヨーロッパではあの生き物を"グランパス"と呼んで、クジラとは区別していることを知った日本人。

「クジラではないあの魚にも何か名前を付けてあげない?」となった時に、「シャチ」という名前が付けられました。

このように海にいるシャチは、明治になってようやくシャチと呼ばれるようになったのです。

シャチホコの"ホコ"


すなわち、城のシャチのモデルが海のシャチなのではなく、むしろ城のシャチの方が大先輩ということになるわけです。

「あんな風だからこいつ、シャチと呼んでおこうということになったわけですね」と、納得の多田。

ところで、お城に乗っているシャチは「シャチホコ」。
シャチホコの"ホコ"は一体、何を指しているのでしょうか?

「シャチというのは、屋根の上に乗せる時に、尾っぽを天に向かって逆立ててますね。それがまるで鉾(ほこ)のように上にそそり立てているんで、"シャチ"の"ホコ"でシャチホコなんですね」(三浦先生)

ホコみたいなシャチ=「シャチホコ」ということです。

きっかけは信長


では、そんなシャチホコがなぜ、お城の上に乗せられることになったのでしょうか。

きっかけは、三英傑の1人である織田信長が安土城を作った時までさかのぼります。

「安土城の天守や櫓(やぐら)、城門の屋根の上に瓦で作ったシャチを上げたのが日本で最初のもの。というよりも、世界中で最初になると思いますけれどもね」(三浦先生)

信長はなぜそこに目を付けたのでしょう。

「水の中に住んでますよね。ようするに建物を火から守る。火を伏してしまう、火伏(ひぶせ)っていうんですね。そのためにどうも使ったみたいですね」(三浦先生)

これを聞いて「それ以上に多分信長やから、屋根の上にアレを乗せて尻尾をビューン立てたら、かーっこええじゃん!という」と、信長になりきって想像を膨らませる多田。

もちろん見た目のカッコ良さも城に取り付けた理由の1つではあるようですが、一番よく言われているのはやはり「火伏」である、と桐生。

火に対して水を吹き出して消す、という伝説を持つことを信長が知っていて、火事から城を守る目的でシャチを取り付けたということであるようです。

シャチホコはステータス


この信長の安土城の作り方を真似たのが、秀吉。
伏見城・大阪城を立てた時に、やはり立派なシャチホコを取り付けました。
この2人以降、お城にシャチホコを乗せることが1つのステータスとなっていったそうです。

犬山城のシャチホコは瓦でできていますが、東海地方の人はシャチホコと聞くと一般的に金鯱(キンシャチ)を思い浮かべるのではないでしょうか。

実は、名古屋城のシャチホコのように金でできているシャチホコは、大変珍しいもののようです。

「他の城のシャチというのは、まず瓦でできてるんですね。ただの瓦ですと面白くないものですから、豊臣秀吉の大阪城だとか、瓦の表面に薄っぺらい金箔を貼っただけのものなんです。一応金色してますけど、金箔貼っただけですので、あまり輝かないですよね。それが標準的だったんです。

ところが名古屋城を徳川家康が作った時には、一点超豪華!ということで木で作ったシャチの表に金の板を張り巡らせた、金の板張りのシャチを作ったんですね」(三浦先生)

信長のセンスに脱帽


「黒っぽいよりも金ピカにしちゃえ!かーっこええじゃん!富と権力の象徴っていうことでしょうね」

やはり見栄えだろう、と多田。
つまり、キンシャチを作ったのは家康だけ。

駿府城・江戸城・名古屋城のシャチホコが金で作られましたが、駿府と江戸のキンシャチは全て焼失してしまい、残ったのが名古屋城のキンシャチだけというわけです。

桐生「改めてスゴイなと思うのは、一番最初にシャチホコをお城に飾った信長さんのセンス!」
多田「『かっこええがね!』って」

犬山城のシャチホコは今週末、いよいよ公開となります。
(minto)
多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N
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2018年03月13日07時38分~抜粋

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