今回の“情報サプリメント”は「いまどきの霊柩車事情」について。
霊柩車というと必ず一度は乗るもの。しかし、豪華な霊柩車を、最近見かけなくなったことにお気づきですか?
これを火曜アシスタントの原田裕見子が、一般社団法人全国霊柩自動車協会の勝基宏さんに伺いました。
煌びやかな「宮型霊柩車」が、いま急激に減っている!
御神輿から「宮型霊柩車」へ
多田しげおからの素朴な疑問です。
「昔ながらの霊柩車、つまり、ちょっとした神社仏閣のようなきらびやかな霊柩車を、とんと見かけなくなり、ごく普通の黒塗りの霊柩車ばかりになってきた気がします。昔ながらの霊柩車はどうなったのでしょうか?」
あの昔ながらの霊柩車は正式には「宮型霊柩車」といいます。
宮型霊柩車が登場したのは、今から100年ほど前。大正時代の初めに大阪で誕生したと言われています。
それ以前、日本にはきらびやかな仏飾を施したお神輿みたいなものに、亡くなった方を乗せてお墓まで運ぶ習慣があったそうです。
それが自動車の普及によって、宮型霊柩車に移行していきました。
10年ちょっとで激減
今は、どのくらい減ってしまっているんでしょうか?
「もう1割は切っていると思います。2003年、2004年のピーク時は4割以上が宮型の時期もありました。激減です」と勝さん。
シンプルなタイプは「洋型霊柩車」と言われ、全国に14,000台ありますが、宮型はいまや1,000台弱にまで減ってしまっているそう。
霊柩車全体の数は変わらず、宮型だけが減っています。
激減の理由1 費用問題
なぜ宮型の霊柩車が減ったのでしょうか?
ひとつは、金銭的な問題。車両価格はどうしても宮型の方が装飾をする分、高くなります。
まさに「宮型」の名に違わず、一台一台が宮大工さんによる手作りだそうです。
クルマの上の部分を切り取り、そこに手仕事による金細工や漆塗りが施されたものを載せて改造するわけですから、どうしても高価になるわけです。
例えば1,000万円の車をベースにした場合、洋型だとプラス5~600万円。しかし宮型だとプラス1,000万かかるとか。
原田が「車両価格が高くなるということは、当然お葬式にかかる費用としてそれが乗っかってくる…」と言うと、すかさず「だから需要が減ってきたわけですね」と多田が言葉を続けます。
激減の理由2 火葬場問題
もうひとつの理由は、霊柩車が向かう先、つまり火葬場を取り巻く状況が急激に変わりつつあること。
古くなった火葬場を新しく改築したり移築する条件として「宮型を走らせないからここに火葬場を作らせてくれ」と言う条件を出すわけです。
「なるほどね。火葬場を作る条件として宮型はNo!洋型のみにしてくれ、家の前を宮型が通るのはちょっと堪忍してくれという周りの意見がある」と地元感情を思う多田。
この名古屋でも、以前からある八事の火葬場は宮型OKですが、港区にある新しい火葬場は宮型はNGです。
これは地元の方の気持ちを尊重してということのようです。
霊柩車は文化だ!
勝さんは「日本人の葬送に対する意識の変化がここ十数年で起きたんだろう」と話します。
原田も「お葬式が仏教儀式からひとつのセレモニーに変わりつつあるんだろうな」と同意。
「それもシンプルに、ということですね」と、多田がまとめます。
国内では減少している宮型霊柩車ですが、仏教の信仰の厚いモンゴルの富裕層向けに輸出されることもあるそうです。
また、国立民族博物館ではこの宮型を「貴重な葬送文化」として収蔵品に加えているということです。
原田も「日本の貴重な文化のひとつが今消えようとしています」と惜しみます。
リスナーからの声
リアクションのお便りもいただきました。
「私の祖父が、私が死んだらキンキラキンの車に乗せてくれと言って亡くなりました。その通りキンキラキンの霊柩車で送りました」(Aさん)
「西尾にはプリウスの霊柩車があります(洋型)。プリウスの後ろの部分をず-と伸ばして、色は白です。まさにリムジンカーの雰囲気です」(Bさん)
「霊柩車を見たら親指を隠さないと親の死に目にあえない」など、地域ごとに言い伝えや文化と関わっている霊柩車。
その代表とも言える宮型霊柩車が消えていくのは、ちょっと寂しい話ですね。
(みず)
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