ドラゴンズスペシャル

秘蔵音源で振り返る「燃える男・星野仙一」

1月14日、CBCラジオでは『追悼特別番組、夢と感動をありがとう!燃える男、星野仙一~最後のメッセージ~』を放送しました。
番組のオープニングは、1988年、久野誠アナ(当時)の実況音声から始まりました。

「ドラゴンズ優勝!ドラゴンズ6年ぶり、4回目の優勝達成!ナインがどっと集まった!胴上げが始まった!星野監督180センチ83キロ、胴上げだ!1回、2回、3回、4回ぃぃぃ!」

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巨星、墜つ。


1月4日に永眠されたプロ野球界の巨星・星野仙一さんのこれまでの偉業を、CBCラジオに残る秘蔵音源と、ドラゴンズOBたちの回想で振り返ります。

パーソナリティは40年近い実況人生で星野さんと親交を深めていた久野誠、そして第一次星野政権時の1987年12月から92年3月まで久野とともに『サンデードラゴンズ』(CBCテレビ)の司会を務めた鷲塚美知代の元CBCアナウンサー両名が担当しました。

「土曜日(1/6)の朝、スマホのネットニュースで星野さんの訃報を知って飛び起きて、思わずCBCラジオを点けたら(『石塚元章 ニュースマン!!』で)久野さんが涙声で話されていた」と語る鷲塚。

一方の久野もその翌週に出演した『多田しげおの気分爽快!!』で「元気を出して」と応援メッセージを受けていたことを語りました。

アンチ巨人でやってきた


星野さんは亡くなられる3週間ほど前の12月12日、CBCラジオ『ドラ魂KING』に出演しました。この放送が星野さん最後のメディア出演となりました。

奇しくも久野誠がこの12月でアナウンサー人生を終えるということで、労をねぎらうために出演した星野さん。放送前の打ち合わせで星野さんが語ったことを回想する久野。

「特に面白かったのは、阪神優勝のあと辞められることになって、すぐに巨人から監督のオファーがあったと。星野さんはアンチ巨人でやってきたこともあって絶対それは受け入れられなかったけど、『だけどな、提示された数字はすごかったぞ』とそんなお話もしてくださったんです」

ともに泣いた木俣達彦


昭和49年10月12日、ドラゴンズは20年ぶり2度目、巨人の連覇を9で阻んでの、悲願の優勝でした。その瞬間、マウンドに立っていたのは星野さん、そしてバッテリーを組んでいたのは木俣達彦さんでした。

「優勝の瞬間に(バッテリーとして)抱き合って泣いたというね、僕の人生の中であんなに泣いたのは初めてで、仙ちゃんもそんなに泣くということがなかったからね。あれは人生のいい思い出だったですね」(木俣達彦さん)

14年間の選手時代、通算成績は146勝121敗、34セーブ。
巨人戦には必ず先発し、とにかく闘志を燃やした熱い選手時代でした。

『ドラ魂KING』でも語られましたが、巨人に対する並々ならぬ闘志は、これまで定説とされた、ドラフト時の口約束の反故ではなく、親会社が新聞社というところで飛び交っていた「打倒・読売」という言葉にあったそうです。

ハードプレイ・ハード


引退後、スポーツキャスターとして4年の充電を経て、1986年10月、39歳の若さでドラゴンズの監督に就任しました。番組ではその会見の模様を紹介しました。

「引き受けた以上は、身体を張って、思い切ってやっていこうと」
──ドラゴンズの選手の皆さんへ
「覚悟しとけ!」

"ハードプレイ・ハード"をスローガンに、様々な改革に着手した星野さん。
特に世間を驚かせたのが、当時3度の三冠王に輝いた落合博満選手のトレードでした。移籍会見での模様です。

「男ですよ。ただそれだけです。理屈要らないと思います。男が男に惚れてきたんですから、それだけでいいんじゃないですか?」(落合さん)
「頼むぞ、という言葉しかないですね」(星野さん)

一方、近藤真一(現・真市)投手、立浪和義選手、中村武志捕手、彦野利勝選手などの若手を次々と起用してチームを若返らせ、ドラゴンズは常に優勝争いに食い込む、強い球団へと生まれ変わりました。

彦野利勝、立浪和義が偲ぶ


その当時の若手選手たちはこのように振り返ります。

「1軍に引き上げてくれた本当に大恩人の方で、開幕して間もない頃、初スタメンでなかなかいい結果が出なかった時に、それでも次の日もスタメンで使ってもらえたと。それで少し活躍ができて、自分の中の自信にもなって…」(彦野利勝さん)

「18歳の高校生をいきなり開幕から使うという、その決断力ですよね。ある程度自分も年齢がいってきて、冷静にものを見れるようになった時に、今ではもう考えられないことですし。早く一流の、レベルの高いところに放り出してもらったのが星野監督なんで感謝していますね」(立浪和義さん)

歌う星野仙一・25歳


番組中盤ではCBCラジオに残る、貴重な音源を紹介しました。

1972年(昭和47年)、新人歌手5人から誰が一番気に入ったかをリスナーからの電話投票で決める『あなたが選ぶニューボイス』という番組がありました。
ここに25歳の星野仙一さんがゲスト出演したのです。番組ではその音声アーカイブを放送しました。聞き手は日比英一アナウンサー(当時)です。

──グランドの雰囲気と、この(CBC)第2スタジオ『ニューボイス』の雰囲気と。
「グランドではもう必死ですからね。(ここは)すごく和やかで楽しいですね」
──星野さんは学生時代から歌ってるわけ?
「よく上級生にね、歌わされるんですよね。それで歌を覚えておかなくちゃならなくなってね。で、歌うようになりましてね。便所なんかでよく歌ってました(笑)」
(1972年1月9日放送より)

この後オルガンをバックに「雪が降る」を熱唱させられる星野さんですが、実に素晴らしい歌声でした。

しっかりやろうぜ!


番組後半は1996年、5年ぶりにドラゴンズ監督に復帰した時からのプレイバックです。
再度の就任会見で星野さんはこう語りました。

「前は『覚悟しとけ』なんて勇ましい言葉を言ったみたいですけどね、今はそんな気持ちは全くなくて『しっかりやろうぜ!』と」

迎えたシーズンはナゴヤ球場のラストイヤー。巨人と互角で争ったナゴヤ球場最後の試合「10・6」では勝利を飾ることができず優勝も逃しました。
その悔しさを秘め、最後にマイクで謝辞を述べる星野さん。

「今日の悔しさを胸に秘め、来年ドームで出直します!さようなら、ナゴヤ球場。世界一のグラウンドだと思っております。本当に関係者の皆さん、ご近所の皆さん、ありがとうございました。またドームでお会いしましょう!ありがとう!」

しかし戦いの舞台をナゴヤドームへ移した97年は、環境の変化に苦しんで最下位へ。その翌年から守りを重視したチーム作りに着手します。
そして1999年には改革の成果が表れ、開幕11連勝(日本タイ記録)。「これで優勝できなかったら…」というプレッシャーを跳ね除けて、ラストスパートを8連勝で飾り、11年ぶり5回目の優勝を決めました。

「久しぶりだから、初めてみたいな感じがしますわね。ホント、ここまで選手を信じて良かったなと、つくづく幸せな男だと思います」

優勝時の監督インタビューでは、非常に柔和なコメントで選手たちを讃えました。

その後阪神、楽天の監督を歴任し、リーグ優勝をもたらします(2013年楽天は日本一に)。
監督生活17年で異なる球団を3度の優勝に導いたのは史上3人目の快挙でした。

こうした功績から2017年に野球殿堂入り。その表彰式はドームで行われました。

「この名古屋で私のプロ生活が始まり、そして名古屋のファンに愛され、育ててもらったという記憶は昨日のようです」

星野さんを継ぐ者たち


この第二次星野ドラゴンズで頭角を現したふたりの投手は、こう振り返ります。

「開幕戦の時も打たれたんですけど、試合終わった後に『あれは俺のミスや』と代わってくれたことを覚えてます。あの時にもう二軍かなと思ってたんですけど、その後すぐ投げるチャンスをいただいて、そこから開き直ってガムシャラに投げたら結果が続きはじめたというところなんですけど」(岩瀬仁紀さん)

「常に星野監督の後ろを見ながら、こういう気持ちを前面に出した野球選手になっていきたい、そういう気持ちはありましたから。僕の中では偉大な先輩ではありますけど、名古屋に来て父親のような感じで背中を見てプロ野球人として育ったなと」(川上憲伸さん)

最後のメッセージ


そして番組の最後は、昨年12月12日『ドラ魂KING』エンディングで星野さんが語られた「最後のメッセージ」を放送しました。聞き手は久野誠です。



──いま本当にドラゴンズ、苦しい状況にあるんですけど、ファンの皆様にメッセージをぜひ頂戴したいと思うんですが。

「でも森監督は若いやつも使ってるし、これからじゃないの?ただ、もっともっと、なんて言うかな、名古屋気質と言うか、東海人の文化と言うか、歴史と言うか、そういうものを大事にしてほしいな。もっとファンを惹きつけるには、サラリーマンの野球をやってたんではダメ。やっぱり個性がないと」

──僕はプロ野球に対する危機感を凄く今持ってるんですよ。ですから、監督、ぜひコミッショナーをなんとかやっていただけませんか。

「コミッショナーはお金儲けができる人ね。(僕は)そのアドバイザーとして、やっぱりね、底辺拡大。こどもたちにどうやって野球をやらせるか、その環境作りをどうやってやるかということを考えると、やっぱり原資、お金が要るわけです。
プロ野球なんていい加減なもんなんです。ドラフトでパッパッとお金で釣るだけだからね。それまで選手を育てるのに、アマチュアの監督がどれだけ苦労してるか、そこを考えないと。もう考えてますけどね、僕はね」

──ぜひ今後もプロ野球界のためによろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました。

「いやいやもう懐かしい。ありがとう!」



元気のいい、力強い言葉で最後のメディア出演を締めくくった星野さん。

野球界の裾野を広げる道半ばで旅立ったことを「悔しいです」と、生前の言葉を引用して評した久野誠、最後に星野さんのこれまでの人生を評して「ロマンチスト」という言葉を贈りました。
(編集部)
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