野球解説者の山田久志さんが5月8日放送の『若狭敬一のスポ音』に出演し、「イニング間のピッチャーの行動」について語りました。
味方が攻撃中のイニングとイニングの合間、投手はどんな心理状況にあるのでしょうか?
昭和と令和でこんなに違う?味方が攻撃中のピッチャーの行動
攻撃中にキャッチボール
最近は攻撃が2アウト、あるいは1アウトでもダブルプレーで終わるかもしれないというシチュエーションだと、ほとんどのピッチャーがベンチの前でキャッチボールを始めます。
しかし山田さんが現役だった頃は、そのような習慣はなかったそうです。ちなみに山田さんの現役時代は1969~1988年。昭和44~63年です。
1994年(平成16年)にオリックスのコーチに就任した時は、やる人とやらない人がいたそうですが、まだ全員がやっていた感じはなかったんだとか。
山田さんが中日のコーチに就任した1999年(平成21年)には、先発陣、リリーフ陣、ほとんどのピッチャーがやっていたそうです。
しかし山田さんが現役だった頃は、そのような習慣はなかったそうです。ちなみに山田さんの現役時代は1969~1988年。昭和44~63年です。
1994年(平成16年)にオリックスのコーチに就任した時は、やる人とやらない人がいたそうですが、まだ全員がやっていた感じはなかったんだとか。
山田さんが中日のコーチに就任した1999年(平成21年)には、先発陣、リリーフ陣、ほとんどのピッチャーがやっていたそうです。
山田投手の場合
若狭「山田さんは現役、阪急時代はイニング間、ベンチで何やってたんですか?」
山田「何やってるって試合見てるに決まってるじゃん」
もしくはベンチの後ろに行って、何か気分転換をしているんだそうです。
現在のピッチャーは前に出てキャッチボールをしています。味方の好打ではワーッと喜ぶ表情が中継のカメラで捉えられたりします。
山田「あれが本当に情けない話なんだ」
若狭「ええ?情けない話?」
いったいどういうことでしょう。
山田「何やってるって試合見てるに決まってるじゃん」
もしくはベンチの後ろに行って、何か気分転換をしているんだそうです。
現在のピッチャーは前に出てキャッチボールをしています。味方の好打ではワーッと喜ぶ表情が中継のカメラで捉えられたりします。
山田「あれが本当に情けない話なんだ」
若狭「ええ?情けない話?」
いったいどういうことでしょう。
次のシミュレーション
山田「ピッチャーというのは、あんまりゲームに入っていったらダメなんです。自分のリズムを崩すってよく言われる。あれは、あんまりよろしくない。
私の場合は、あんまりゲームに入っていかない。自分がマウンドを如何に支配していくかということを考えるから」
若狭「味方の攻撃を応援するというよりも、その景色をぼんやり見てるものなんですか?」
山田「そうだね。今の表現、合ってるかもわからん」
山田さんの場合、「ここで一本打ってくれ」ではなく、ぼんやりと試合を見ながら、頭の中では、次のイニングのバッターに対するシミュレーションをしていたそうです。
私の場合は、あんまりゲームに入っていかない。自分がマウンドを如何に支配していくかということを考えるから」
若狭「味方の攻撃を応援するというよりも、その景色をぼんやり見てるものなんですか?」
山田「そうだね。今の表現、合ってるかもわからん」
山田さんの場合、「ここで一本打ってくれ」ではなく、ぼんやりと試合を見ながら、頭の中では、次のイニングのバッターに対するシミュレーションをしていたそうです。
投手主導の昭和野球
山田「さっきのベンチの前でのキャッチボールの話だけどね、我々の時代はピッチャーがOKって言ったら、始まったもんだよ」
ここから少し昭和の野球の話になりました。
当時は、味方の攻撃中、肩が冷えないようにピッチャーがキャッチボールをするという習慣はありませんでした。
その代わり、イニング前、マウンドに上がってから、ある程度投げることができたんだとか。現在は5球と決められています。
山田「私らの時はピッチャーがOKって言ったら開始。そういう時代があったの」
若狭「草野球のおじさんたちはそんな感じですよ。OK、OK、もう審判やろうか、みたいな」
山田「一生懸命投げるなんて人、まずいなかった」
しかしプレイボールがかかると集中するのが当時のピッチャー。バッターも自分のペースなので、打席につくのが遅い人がいるんだそうです。
山田「マウンドからバッターに向かって『カモン。遅い。スピードアップ』…面白かったよ」
大らかな時代でした。
ここから少し昭和の野球の話になりました。
当時は、味方の攻撃中、肩が冷えないようにピッチャーがキャッチボールをするという習慣はありませんでした。
その代わり、イニング前、マウンドに上がってから、ある程度投げることができたんだとか。現在は5球と決められています。
山田「私らの時はピッチャーがOKって言ったら開始。そういう時代があったの」
若狭「草野球のおじさんたちはそんな感じですよ。OK、OK、もう審判やろうか、みたいな」
山田「一生懸命投げるなんて人、まずいなかった」
しかしプレイボールがかかると集中するのが当時のピッチャー。バッターも自分のペースなので、打席につくのが遅い人がいるんだそうです。
山田「マウンドからバッターに向かって『カモン。遅い。スピードアップ』…面白かったよ」
大らかな時代でした。
ぎっしり詰まったバッグの中身は
話は本題に戻ります。イニング間のピッチャーの行動。
山田さんは味方の攻撃中、次の打者のことを考える以外の気分転換としてアンダーシャツを着替えていたんだそうです。
山田「今のアンダーシャツと、当時のアンダーシャツは素材が全然違うのよ。分厚くて熱を持って、夏なんか1回ごとに変えなきゃいけない。冷房が効いてないから、着替えてる最中にまた汗が出てくる。着替えるの大変なんだ」
山田「夏場は1イニングぐらいずつ変えなきゃダメ」
若狭「ということは、9枚は揃えてるってことですか?」
山田「あのね、練習から数えたらね、バッグはほとんど下着類でいっぱいですよ。練習の着替えもあるし、試合中の着替えもある」
山田さんは味方の攻撃中、次の打者のことを考える以外の気分転換としてアンダーシャツを着替えていたんだそうです。
山田「今のアンダーシャツと、当時のアンダーシャツは素材が全然違うのよ。分厚くて熱を持って、夏なんか1回ごとに変えなきゃいけない。冷房が効いてないから、着替えてる最中にまた汗が出てくる。着替えるの大変なんだ」
山田「夏場は1イニングぐらいずつ変えなきゃダメ」
若狭「ということは、9枚は揃えてるってことですか?」
山田「あのね、練習から数えたらね、バッグはほとんど下着類でいっぱいですよ。練習の着替えもあるし、試合中の着替えもある」
昭和にあった暗黙のルール
今のロッカールームには、ランドリー担当の人が使用済みのアンダーシャツなどを回収に来ます。しかし昔は違いました。
山田「我々の場合は自分で全部管理しなきゃいけない。その汗をかいたやつを袋に入れて、それまた持ち帰って、とかって時代だから、することがあるんだ」
イニングの合間の着替え中に、味方の攻撃が三者凡退で簡単に終わってしまおうものなら、マウンドに上がるのが間に合わないこともあったんだとか。
しかも当時は、今のようにファールで球数を多く投げさせるという考え方はありませんでした。比較的攻撃が淡白になりがち。むしろ粘るバッターは怒られたんだそうです。
山田「エースクラスにファール、ファール、ファールだと『何をやってんだ』と言われるぐらいだから」
そういう暗黙のルールがあったんですね。
山田「我々の場合は自分で全部管理しなきゃいけない。その汗をかいたやつを袋に入れて、それまた持ち帰って、とかって時代だから、することがあるんだ」
イニングの合間の着替え中に、味方の攻撃が三者凡退で簡単に終わってしまおうものなら、マウンドに上がるのが間に合わないこともあったんだとか。
しかも当時は、今のようにファールで球数を多く投げさせるという考え方はありませんでした。比較的攻撃が淡白になりがち。むしろ粘るバッターは怒られたんだそうです。
山田「エースクラスにファール、ファール、ファールだと『何をやってんだ』と言われるぐらいだから」
そういう暗黙のルールがあったんですね。
長袖しか着ない理由
最後に山田さんのアンダーシャツへのこだわり。
山田さんは現役時代、半袖で投げたことはなく、常に長袖だったそうです。その理由はコレ。
「手首の角度とかで球種がバレる時あるんですよ。だからアンダーシャツで隠すの」
山田さんの投げる真っすぐ、カーブ、シンカーが手首の角度で見極めるんだそうです。極端な人になると、右手の筋ばった腱まで見ている人がいたんだとか。
山田「筋が出た、出ないとかね、この角度が違うって、おまえ、どこを見てるんだ。普通に野球をやりなさいと言いたいんだけども、それもプロのすごさだよね」
(尾関)
山田さんは現役時代、半袖で投げたことはなく、常に長袖だったそうです。その理由はコレ。
「手首の角度とかで球種がバレる時あるんですよ。だからアンダーシャツで隠すの」
山田さんの投げる真っすぐ、カーブ、シンカーが手首の角度で見極めるんだそうです。極端な人になると、右手の筋ばった腱まで見ている人がいたんだとか。
山田「筋が出た、出ないとかね、この角度が違うって、おまえ、どこを見てるんだ。普通に野球をやりなさいと言いたいんだけども、それもプロのすごさだよね」
(尾関)
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