若狭敬一のスポ音

最後のラジオ出演!?木俣達彦、ドラゴンズ選手へ贈る衝撃の言葉

元中日ドラゴンズ捕手の木俣達彦さんが、8月24日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演しました。

「今日がこうやって野球の話をするのは最後だと思いますから、最後は絶対これを言っとかないかんと思って来たの」と切り出した木俣さん、まさか最後のラジオ出演となるのでしょうか?
自身の現役時代から、現在の選手にまで、ドラゴンズへの熱い想いを語る木俣さん。聞き手は若狭敬一アナウンサーです。

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ラジオ引退?

現在、木俣さんはメディアの仕事はほとんどしていない状況です。
今回この番組が、恐らくラジオの最後の仕事となるので、最後に自分のプロ野球人生の中で、一番印象に残った試合を振り返りたいと、話し出した木俣さん。

「私の野球人生2,143試合だったと思うけども、その中で一番足が震えて、一番緊張したのがこの試合なんですよ」

それが1974年(昭和49年)10月11日、神宮球場で行われたヤクルト中日戦です。

実はこの試合の翌日、10月12日にナゴヤ球場で大洋ホエールズとのダブルヘッダーが行われ、中日は2連勝し、ジャイアンツのV10を阻んで優勝しました。

巨人に逆転優勝してほしい

ヤクルト戦の翌日は、ダブルヘッダーで大洋と2試合。
それで優勝が決まらなければ、後は2位の巨人と後楽園で2連戦という日程でした。なんと残り5試合でマジック3。2位巨人とのゲーム差は1.5。

この試合が始まる前、今では考えられない出来事がありました。
当時のヤクルトのオーナーが巨人ファンであることを公言し、「今年(昭和49年)は巨人に逆転優勝してほしい」と発言していたのです。

大衆に人気のあるものは「巨人・大鵬・卵焼き」。
日本全国、ジャイアンツファンが一番多い時代でした。おおらかと言えばおおらかな時代ですが、こともあろうにこのオーナー、中日に対してとんでもないことをしてきました。

次の次の日の巨人戦に投げる予定だったエース松岡弘投手を神宮の中日戦に当ててきたのです。
松岡さんはこの年に17勝を挙げており、中日戦を得意としていました。巨人に勝たせたい一心、こんなこと、今では考えられませんよね。

「私は松岡が大嫌いだったんですよ」と木俣さんも言います。
当時の中日打線は松岡さんに全く歯が立たなかったそうです。

神様、仏様、キリスト様

さて問題の試合です。
松岡投手がしっかり抑え、ヤクルト2点リードで迎えた6回表。2アウトランナー満塁。
ここで打席に入ったのが木俣達彦さんでした。

「ここで打たなきゃ負けるなあと思ったですもん。ネクストバッターズサークルにおった時に、緊張のあまり足がガタガタ震えてきたんですよ」

打席に入ると大矢明彦捕手が「木俣さん、そんなに足が震えとっちゃ打てませんね」と言ってきたそうです。

素直に「俺もそう思う」と言うと、タイムを取ってネクストバッターズサークルに戻った木俣さんは、ロジンやスプレーを付けながら…。

「なんとか足が止まって下さいって神様、仏様、キリスト様、みんなにお願したけどダメだったですね」

キリストにまで頼んだものの、足の震えは止まらず、ボールカウントは3ボール、2ストライクとフルカウントになってしまいます。そして…。

木俣「ボールが来たんですよ」
若狭「そりゃ来るでしょう」
木俣「しょうがないからバットを振ったんですよ」
若狭「振りました」
木俣「当たったんですよ」

「いいですね。細かいですね。でも小学生でも言える言葉です。来た。振った。当たった。そして?」と言う若狭に、「走った」と続ける木俣さん。若狭アナ、思わず爆笑します。

記憶がないヒット

木俣「ファーストのコーチが井手(峻)だったの。そしたら握手するんですよ。何で握手するのかなあと思ったら、ライト前にポテンヒットです」

若狭「三塁ランナー、ホームイン、2対1。二塁ランナー、三塁を回ってホームイン。2対2同点。木俣、同点タイムリーヒット」

「そのボールが何で、どこへ打ったか、未だに記憶がない」と続ける木俣さん。
究極の緊張の中で頭が真っ白になっていたそうです。

うっ憤を晴らす若狭

これを聞いた若狭アナがヒートアップします。

若狭「いいかドラゴンズの選手達、先輩は戦ってるんだ!ぼさっとBクラスをウロチョロしている場合じゃないぞ。これだったら7年連続Bクラスになるじゃないか。バントのミス、走塁ミス、キャッチャーはパスボール、ピッチャーはフォアボール、何ちんたらやってんだバカ野郎!」

普段の実況では言えないうっ憤を晴らすかのように捲し立てました。そして…

「…と、木俣さんは放送前に言っておりました。私も熱くなっちゃいました」

しれっと木俣さんの発言にすり替える若狭アナでした。

中日ベンチで大喧嘩

ところがヤクルトもしぶとい。
オーナーが「巨人に優勝してほしい」と公言しただけのことはあり、6回の裏、1点を勝ち越します。

この6回の裏、1点を取られて3対2。
その瞬間、三塁側の中日ベンチは、もの凄いことになっていたそうです。

「監督は『星野(仙一)を出せ』、ピッチングコーチは『明日先発だから出しちゃいけない』」と振り返る木俣さん。
監督の与那嶺要さんとコーチの近藤貞雄さんが大喧嘩を始めたそうです。

実は、星野さんは翌日の大洋戦ダブルヘッダーの第2試合の先発で、この神宮のゲームでは投げさせない予定だったそうです。
すったもんだがあって、結局コーチの言うことを聞いて、出さないことで一旦は落ち着きました。

木俣さん、会心の一打

9回の表、1点ビハインドで迎えた中日の先頭バッターは木俣さん。
ピッチャーは松岡投手から浅野(啓司)投手に代わっていました。

木俣「これは自信があったの。僕は浅野が大好きだったの。『ちょっと打ってくるから後を頼むぞ』と言って、本当にツーベースを打ったんです。で、足が遅いもんでピンチランナーに代わったんです」

木俣さんは代走で交代。次のバッターはドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」でお馴染みの谷木(恭平)さんが歌詞どおり送りバントを決めて、1アウトランナー三塁。
そこから2アウトランナー三塁まで行って、絶体絶命の時に、三遊間を破る同点タイムリーヒットを打ったのが、かつて監督も務めた職人・高木守道さん。

「ドラゴンズの足跡を振り返ると、レジェンドたちは良いところで打ってるんですよ」と感心する若狭アナ。

星野仙一登場

9回の裏、使えるピッチャーは後2人。
そこでマウンドに上がったのは、出る出ないでベンチが揉めた星野仙一さんでした。

この日、なんと8人の投手リレー。
ところが、「さあ行ってくるぞ」と星野さんが取ったコップの水が緊張で波を打っていたそうです。さらに…。

木俣「僕はベンチで見ておったわけですよ。そうしたら投げる時に足がガタガタ震えとるわけですよ。そして、ボールがふらふら~と来るんですよね」

その年の星野は非常に調子が良く、木俣さんはボールが速いものと思ったそうです。ところがボールがもの凄く遅かったそうで…。

「僕が投げるのと一緒ぐらい。ふらふら~、ふらふら~と行くんですよ。相手は速いと思って打ちにいく、そこにフォークボールみたいに落ちる球ばっかり。だからショートゴロ、ショートゴロ、サードゴロでチェンジです」

そこで試合終了。引き分けで終わりました

木俣「なぜ、そういう風に落ちる球ばっかりだったの?あの仙ちゃんが、足がふらふらしとって速いボールが投げれなかったんです」

若狭「そういう痺れる試合を今のドラゴンズの選手にも経験してほしいと思います。さあ、木俣さん、今のドラゴンズに喝を入れてください。メッセージを最後にお願いします」

木俣「まあ…今年は5位でいいでしょう(苦笑)」

野球解説者時代、勝敗予想をことごとく外し、逆にそのとぼけた芸風が人気だった木俣達彦さん。最後のラジオ出演が、こんな締まりのない終わり方で良いのでしょうか?
木俣さんらしいと言えば、らしいのですが、まだまだ今後も出演していただきたいものです。
(尾関)
 
若狭敬一のスポ音
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2019年08月24日13時24分~抜粋

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