若狭敬一のスポ音

大谷ノブ彦の高校時代、隣町で歌のうますぎる少女はまさかの...

ダイノジの大谷ノブ彦が出演している『若狭敬一のスポ音』の「キスころ濃縮版」。

7月14日放送分では、1972年生まれの大谷が自身の高校時代のバンドブームについて熱く語り始めます。
最近は"DJダイノジ"としても活動する大谷の原点でもあったという濃い話です。

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80年代バンドブーム

大谷「僕、DJ ダイノジやってるの知ってます?」。

毎年DJダイノジとして夏フェスを盛り上げている大谷。このシーズンの土日はほぼフェスに出演とか。もちろん今年もCBCラジオ夏まつりにも参加します。

大谷「DJを始めたのはお笑いの仕事がなくなってきた2005年ぐらいですかね。もともと僕、音楽がめちゃめちゃ好きだったんですよ。中高生の時にバンドブームっていうのがあったんですよ」

1980年代後半頃、BOOWYやブルーハーツ、女性だったらレベッカ、プリンセスプリンセスなどのコピーバンドを組むのが流行っていました。

大谷「クラスの半数以上が楽器を持ってバンドを組む、という異様なブームがあったんですよ。僕も、その真っただ中ですからやってたんすけど、うちのクラスにめちゃくちゃうまいヤツがいたんですね。ラウドネス(LOUDNESS)っていうバンドのコピーバンド」

ギターが上手い亀井君

大谷「ラウドネスは僕らの世代じゃなく、一昔前のメタルバンドなんですよね。ハードロックバンドと言った方がいいですかね。世界で一番最初に、日本を代表して行ったハードロックバンドです」

元々はレイジ―というアイドルバンドでした。ライブでは洋楽ロックも演奏する一面もあり、音楽にはこだわりがありましたが、やがてメンバー間の音楽性の違いで解散。

ギターの高崎晃さんとドラムの樋口宗孝さん、ベースの田中宏幸さんがラウドネスを結成し、ボーカルの影山浩宣さんは、芸名を影山ヒロノブとしてアニメソングで活躍していきます。

大谷「それを多分、お兄さんかお父さんからの影響で聞いていた亀井君がコピーバンドを組みまして。人数50人ぐらいの漁村から出てきた亀井君が、ギターを練習して、そのラウドネスのコピーバンドがめちゃくちゃうまいんですよ」

ボーカルだけが下手だった

大谷「バンドブームの当時はCDがよく売れてました。ところが日本全国でラウドネスのCDが一番売れたのが、ウチの町だったんですよ。町全体がラウドネスファンでした」

大谷さんの地元、大分県佐伯市で局地的にラウドネスブームが起きていたそうです。

大谷「亀井君のおかげです。亀井君が作ったライヤーというバンドが完璧だったんです。全員田舎の漁村の町で、本当に人口の少ないところで育った子たちがバリバリのハードメタル。ピロリロリロなんつってライトハンドでギター弾いちゃって」

ライトハンドとはタッピング奏法のこと。ギターの弦をピックや指で弦をはじくのではなく、フレット上の弦を叩いて音を出すやり方。エディ・ヴァン・ヘイレンで有名になりましたが、最初にやりだしたのはジェネシスのスティーブ・ハケットだと言われています。

大谷「そのライヤーっていうバンドがボーカルだけうまくなかったんですよ。ボーカルだけヤンキーのボスみたいなヤツだったんです。ヤンキーのボスだから歌わせろ、みたいな」

隣町の歌がうますぎる女の子

当時の大分県ではアマチュアバンドのコンテストが盛んに行われていたそうです。そんなコンテストで、ギター、ベース、ドラムとパート別の賞は、ライヤーが独占していたそうです。

「ボーカルだけ、隣町の女の子が毎回優勝するんですね。それが後のglobeのKEIKOなんですよ」という大谷の言葉に、「えーっ!」と驚く若狭。最近小室哲哉さんの妻として注目を集めている、あのKEIKOさんです。

大谷「大分県佐伯市の横の町の、臼杵の山田桂子は歌がうますぎる女の子として、みんな覚えてます。みんな見に行ってましたから。90年代になって気がついたら、CDデビューして国民的スターになってるから、びっくりしちゃって」

亀井君のその後

大谷「で、ギターがすごくうまかった亀井君は後にプロでギター弾くんですよ。
それがこの間、僕の『キスドラ』という番組で、若狭さんが来てくれてリクエストしたんですけど、オンエアしなかったSEX MACHINEGUNSなんです」

この発言に、「えー!」とまたもや驚く若狭敬一。

実は若狭がSEX MACHINEGUNSをリクエストしたのには理由がありました。

若狭「私、2002年の4月から『ハイパーナイト 若狭敬一のワカサギ』という、自分の名前のついた、初めての音楽番組のパーソナリティになったんです。
その時の最初のアーティストゲストが SEX MACHINEGUNS のボーカルのANCHANGだったんです」

こんなはずじゃなかったライブ

今度は大谷が驚きました。

若狭「この時ANCHANGに言われたことが、今でも、心のどっかにあるんですよ。当時のSEX MACHINEGUNS 、それこそ亀井さんもいらっしゃったんでしょうね」
大谷「ちょうど、その時ぐらいですよ」

若狭の心に残っているANCHANGが言ったこととは、どんなことなんでしょうか?

若狭「『俺たちのライブは絶対イケてるから』ってことで、ちょっと調子に乗って大きめのライブハウスを借りてやったんです。すると、客一人だったらしいんですよ」

しかも、SEX MACHINEGUNSも知らない、日時も間違えて来ちゃったようなおじさんだったそうです。

若狭「舞台袖から見えちゃって、テンションみんな下がると思った時に、みんなで話し合ったことが『死ぬ気でセットリストを全部演奏して、この人を次のライブの時に、リピーターにしようぜ』っていうことだったらしいんですよ」

大谷「完璧に変えたわけだ!流して短く終わるんじゃなくて、全力でやってやろうと」

ANCHANGの言葉を胸に

「一人のためにでっかいライブハウスでやりきったと。
ありがとうございましたとライブ告知をして、次のライブで、そのおじさんが来てくれてたという。これ、めちゃくちゃ響いて」と若狭。

当時の若狭自身、まだラジオ番組を担当するのが不安で「こんな駆け出しのアナウンサーが深夜ラジオをやっても、聴いてもらえないんじゃないか」という気持ちがあったそうです。

「何かの間違いで深夜1053(kHz)をつけた人が一人はいる、そのリスナーが来週また僕の番組を聞いてくれるように、毎週頑張ろうと思わせてくれたのがSEX MACHINEGUNSなんです」としみじみ語る若狭。

大谷「惜しまないで全力で行こうと一番最初に来たANCHANGが教えてくれた」

若狭「それがどっかにあるから、今でもやれてるんです。ただ、今は調子に乗りすぎて、要らないことお漏らししちゃって、ツイッターを見ると『二度と若狭の番組は聴かねえ』とか呟かれてる」

大谷「(笑)自分としてはエネルギー出しすぎちゃって。持ってる情報は惜しまずに出していったらダメだったか!」
若狭「今は、ほどよく力を抜くぞ!」

音楽は人と人を繋ぐことを象徴したようなトークとなりました。 
(尾関)
若狭敬一のスポ音
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2018年07月14日12時49分~抜粋

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