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新人賞がなかなか獲れず…友近がハマらなかった審査員とは?

CBC創立70周年特別番組『ルーツ』では、4夜に渡りCBCゆかりのあるパーソナリティーが、自身のしゃべりのルーツについて語りました。

最終夜となった12月18日は、北野誠と友近がパーソナリティーを務め、ゲストに2人と親交のあるちゃらんぽらん冨好さんが登場。

友近が芸能界入りしたきっかけから、全国に知れ渡るまでの話まで語りました。

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意外と遅咲きのデビュー

友近は小さい頃から姉妹でコントのようなことをやっていたほどのお笑い好きでしたが、芸人としてのデビューは意外と遅く、NSC(吉本総合芸能学院)に入ったのが26歳の時。

大学在学中に地元愛媛のテレビ局の番組で、一般の学生として出演していました。

友近「素人の女の子を紹介するみたいな番組があって、十朱幸代さんとニワトリのものまねをやって」

北野「極端ですね(笑)。幅広いですよ」

友近「それでカメラマン兼ディレクターをしていた木村くんが『面白いなあ、仕事したいなあ』って言ってくれたのがきっかけです」

大学卒業後は一時、旅館の仲居さんを経験。

そして再びテレビ番組に起用され、帯番組のレポーターを務めるのですが、出演していたのはあくまでも情報番組。

友近「昔から姉とやってたネタみたいなことがやりたいけど、レポーターは情報を伝えなアカンし、でもテレビには出させてもらってるからそこにちょっと(お笑いのネタを)入れ込むんだけど、でもやっぱり情報がメインやし…っていうフラストレーションが溜まってきて。

やっぱりみんなに覚えてもらうんであれば、レポーターとしてではなく芸人としての私を覚えてもらいたいなと思って、25でパッと辞めて大阪に行ったんですよ」

当時はあまり芸人になる方法について情報がなく、「お笑い=大阪=吉本」と思っていたそうで、北野が所属する松竹芸能に所属するという発想はなかったようです。
 

賞レースに不向きな演目

大阪では若い客層の劇場に出演していましたが、マニアックなネタやモノマネが災いしてか、なかなか上のランクに上がることができない状態が続いたという友近。

関西では『ABCお笑い新人グランプリ』(ABCテレビ)に出演するも、最優秀新人賞を獲るまでには至りませんでした。

冨好さん「最初に見たのが『新人グランプリ』で、お昼の番組で何やったかっていうと、新地のママで新しく店をオープンするからって言うてチャイナ服の格好して、踊りながら1人コントやってましてん。ごっつい子出てきた思たんですよ」

北野「『新人グランプリ』って、前の客席に若い女の子多いやんか。その出方って、(ネタの意味が)わからへんのんちゃうの?一般のお客さんはそんな爆笑せえへんけど、周りにいるプロは『こいつおもろい奴やな』って思うタイプやったんか」

友近「袖にいたバッファロー吾郎さんとか最初に笑ってくださって、その笑い声が私の耳に届いて、『わっ!笑ってくれてる、先輩が!』って、自信がついてきたっていうのはありますよね。

何年間か出ましたけど、審査委員長の大竹まことさんに全くハマらないんですよ、私(笑)。ただ、作家の町田康さんにはハマったんですよ。大竹さんは毎回、違う人に(票を)入れるっていう」

その後、Vシネマ『ミナミの帝王』の竹井みどりさん演じる秘書の細かいモノマネなどを気に入ったバッファロー吾郎さんに見いだされ、ライブにゲスト出演して自分の芸がハマる客層があることを知り、「自らがお客さんを呼びたい」と思うように。

今や架空の演歌歌手のキャラクター「水谷千重子」で実際に公演を開くまでになったのは、自分が面白いと思うことを突き進んできた結果だと、北野も冨好さんも感心していました。
(岡本)
 
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2020年12月18日19時38分~抜粋

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