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伊勢湾台風から間もなく60年。気象予報の伝え方はどう変わった?

1959年(昭和34年)9月26日に紀伊半島に上陸し、東海地方に未曾有の大災害をもたらした「伊勢湾台風」から今年で60年を迎えます。

富士山レーダーや気象衛星ひまわりなど、気象災害を減らすための技術はこの60年で大きな進歩を遂げました。
それでは、気象予報の伝え方は、この60年でどんな変化を遂げたのでしょうか?

17日に放送されたCBCラジオの特別番組『あの日から60年 そのいのちを、守りたい』では、2人の気象予報士、沢朋宏アナウンサーと根本美緒気象予報士が、気象の伝え方と、市民の防災意識について考えます。

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日本初の気象キャスターの誕生



天気を伝える、と言えば、いまではテレビなどで当たり前に目にする「お天気キャスター」。
実は、この職業が誕生したのは、「伊勢湾台風」がきっかけでした。

日本初の気象キャスターの名前は、島川甲子三(しまかわ・きねぞう)さん。
三重県津市出身の方です。
伊勢湾台風が襲来した当時、島川さんは35歳。
名古屋地方気象台に勤める予報官でした。
 
(NHKでのラストOAに臨む島村甲子三さん)

当時を克明に伝えるCBCラジオ

日本初の民間放送局であるCBCラジオは、伊勢湾台風襲来当時、開局9年目。
報道部のあったCBC会館3階は、暴風により窓ガラスが割れ、アナウンサーも読むべき原稿を風に飛ばされてしまうような状況でした。

そんな中、記者たちは被災地に赴き、市井の人々の声を伝えました。
 
(当時のニュース原稿)

島川さんの想いを継ぐ気象予報士たち

日本初の気象キャスターである島川さんの放送スタイルは、後進たちの手本になりました。
「お天気の森田さん」と親しまれている気象予報士、森田正光さんも、島川さんに薫陶を受けた、そのひとりです。

森田さんと島川さんの知られざる関係とは?
森田さんが島川さんから受け継いだ“想い”とは?
 
(左:森田正光さん 右:饒村曜さん)

台風予報に欠かせない「予報円」の生みの親

いまでは台風の進路予想に欠かせない「予報円」。

この「予報円」が登場したのは、伊勢湾台風の襲来から23年後の1982年。
これを編み出したのは、饒村曜(にょうむら・よう)さん。
気象台トップの役職・気象台長を各地で歴任した、気象のエキスパートです。

饒村さんの「予報円」は、台風予報を大きく変えることになります。
 
(饒村さん所蔵:伊勢湾台風襲来時の天気図)

映画『天気の子』の"天気のプロ"

この夏大ヒットした、新海誠監督最新作の映画『天気の子』。
天気を操る不思議な力を持った少女と主人公の少年が、東京を舞台に繰り広げるラブ・ストーリーです。

非常にリアルな気象描写がこの映画のアクセントになっていますが、その気象描写を監修したのは、気象庁気象研究所で研究官を務める、荒木健太郎(あらき・けんたろう)さん。

Twitterのフォロワー数は約10万人と、気象業界ではトップクラスの人気を誇る荒木さん。
荒木さんがTwitterで気象情報を発信する理由は、実は「ある経験」がきっかけになっていたのです。
 
(荒木さんは雲の研究者。専門分野は「積乱雲」)
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2019年09月17日21時00分~抜粋

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