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ギャラクシー大賞受賞作品『最期への覚悟』を今再び

CBCラジオ制作のドキュメンタリー番組『最期への覚悟』が、第55回ギャラクシー賞の大賞受賞記念として、6/28に再放送されました。

在宅医療に取り組む人々と、患者とのやり取りを通して、医療・介護現場の実態や問題点などを考えるきっかけとなる番組です。

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医師の範疇を超えた仕事

在宅医の杉本由佳先生(46)が、名古屋市東区の市営団地に住む前山和子さん(75)のお宅にやって来ました。
杉本先生は、家での看取りを行う在宅医療専門の医者です。

和子さんは末期の乳がんで脳腫瘍があり、去年11月から自宅で一人暮らしをしています。がんが進行した和子さんは歩くのも困難で、誰かの支援がなくては生活できません。

杉本先生「はい、レッツゴー、トイレ」
和子さん「レッツラゴー」
杉本先生「ここ、手を持って。はい、行くよ」

声はかすれて弱々しい和子さんを、ちゃちゃっと小気味良くリードする杉本先生。
普通はホームヘルパー(訪問介護員)がする仕事も、ボランティアでやっています。

杉本先生が理由を語ります。

「ヘルパーさんは介護保険で動いてるので、(和子さんは)介護度が低くてヘルパーさんがたくさん入れないんですよ。だから私がやらんと。
一人暮らしって生活をどうするかだもんね。生活がきちんとできないと医療どころじゃないし。清潔にしておかないといろんな感染症が起きたりして、結局医療費がかかるじゃないですか」

そう言って、和子さんの家の片付けをしたり、洗濯機を回したり。そうこうしているうちにこの日も、2時間が経とうとしています。

緩和ケアがモットー

超高齢社会。今、65歳以上の高齢者の割合は、全人口の4人に1人です。
杉本先生の患者の3分の1は、一人暮らしの高齢者です。

「一人暮らしがいっぱいになってきた。一人暮らしか、二人世帯で老老介護。で、面倒を見てる奥さんや旦那さんが調子悪くなったり倒れちゃったりというのがしょっちゅう。“マンパワー”が本当にない。特にヘルパーさんが足りないな」

そう語る杉本先生。今日もTシャツ姿で、医療用具を詰め込んだリュックを担いで診療に向かいます。
杉本先生は、名古屋市千種区のマンションの一室で「すぎもと在宅医療クリニック」を13年前に開設しました。

クリニックは事務員と先生のたった2人だけですが、24時間対応で、これまで看取った患者は、がん患者を中心に500人です。

「家で死にたいと言ってる人には、なるべくそうさせてあげたいと思ってるんですよ。一人暮らしでも家族が大勢いる人でも」

杉本先生の診療は、できるだけ楽に長く。自分の力で生活できるようにする「緩和ケア」をモットーにしています。

「動けて歩けるんであれば、ギリギリまで歩いてた方が、トイレにも行けて家族は楽だよね。でも、ヒィヒィ言いながらは歩けない。だったら、筋肉を落とさないようにリハビリしたり栄養をつけたりして、なるべく歩こうよ、と」

杉本先生は患者に24時間の診療を行っていますが、深夜に呼ばれることはほとんどないと言います。

「日頃の訪問診療が、初回で2時間くらい。で、毎週1回ずつ行くものは1時間くらい取ってる。その都度患者さんをしっかり診て(見て)るのでわかる。
家族とも話をして、『次はきっとこうなるような気がするから、そうなったら電話してね』とか『その時はこういう薬で大丈夫だから』とか。その間に(家族が患者を)しっかり教育してくれる」

なぜ一人暮らしを選んだのか

杉本先生の診療室は、患者の家。3月中旬、杉本先生は一人で暮らす和子さんの家に診療に来ました。

杉本先生「お腹いっぱい?」
和子さん「今ね、いっぱい」
杉本先生「いっぱい?」
和子さん「いっぱい、2杯、3杯。どうにも止まらない」
杉本先生「フフッ」

いつも、漫才のような会話をしながらの診療です。
杉本先生は、去年11月から和子さんを診ています。和子さんは一時、外出ができるまで元気になりましたが、3月に入り家の中を歩くのも難しくなりました。

和子さんには愛知県内に住む息子がいます。また、近くに仲の良い姪も住んでいます。なぜ和子さんは一人暮らしを選んだのでしょう?

和子さん「私が入って(向こうの家族を)壊しちゃったらいかんでしょ。私が毎日いるのは大変なことだと思うから」

こういう和子さん側の気遣いがあり、そして息子さん側からすると、家にはスペースがないことやバリアフリーに対応していないという問題があります。
さらには家が離れているため、移ってしまうと杉本先生との付き合いがなくなってしまうことも大きいと言います。それだけ、和子さんが杉本先生に全幅の信頼を寄せているということです。

そこでせめてもの行いとして、息子さんは毎週日曜日を和子さんの家で過ごすことにしました。

老人ホームは行きたくない

では、和子さんは老人ホームなどの施設は、考えていないのでしょうか?

杉本先生「何で老人ホームはイヤなの?」
和子さん「何でイヤなのって…。老人と思ってないから(笑)」
杉本先生「アーッハッハッハッハ!すてきぃーっ!」

それと、お金のことも理由の1つ。
和子さんは30代で離婚し、飲食店を経営していました。今、月々の年金は2万5千円ほど。老人ホームに入るには、月に安くても15万~20万円ほど必要です。

一方、在宅の場合、和子さんの3月に使った住居・生活費以外のお金は10万円。そのうち、杉本先生の診療代は8,000円でした。費用的には在宅の方がかなり楽です。ただ、その分受けられるサービスは全然違うので、在宅だと大変なことも多いです。しかも、一人暮らしで寝たきりになってしまったら、1日数回のスタッフの訪問まで。おしめは代えられません。
それでも和子さんは自宅での生活を選びました。

「何でキッチンを歩くのっちゅうの!ここが折れたら寝たきり婆さんだよ?」
「水は飲んじゃいかん。とろみが付いたヤツじゃないと、むせるの!わかった?」
「ねえ、この飴は何?まさか食べてないだろうね?ちょっと舐めた?これ危ないよ、詰まっちゃう。やめた方がいい」

杉本先生は、骨折や肺炎などで寝たきりにならないよう、生活の指導を厳しく行います。
いろいろ怒られてしまう和子さんも、「言われることは厳しいけど、気持ちが良い。そのように(無事で済むように)やってくださる」と、信頼しきりです。

情報の共有ができていない

今日の診療は終了です。和子さんの家を出た後、杉本先生が現状を話します。

「一応、あと1ヵ月だと思ってる。この1週間で随分悪くなってるんですよ。2週間ぐらい前までは1人でコンビニに行ってたからね。出るなって言ってても出てってたみたい」

在宅医療をするには、多くの人の手がかかります。医師、看護師、ヘルパー、薬剤師、入浴サービスの人などなど…。その人たちを結ぶ役目が「ケアマネージャー」。患者を支える計画を立て、看護師やヘルパーなどとのスケジュール調整を行います。

杉本先生はケアマネージャーと相談して、和子さんには毎日朝・昼・晩、誰かが付き添うようにしました。1日3人。1週間で延べ21人が和子さんに付き添います。

介護現場では現在人手不足。特に訪問ヘルパー不足は深刻です。杉本先生は「医師とヘルパーが協力できれば、より楽に患者の生活をサポートできる」と考えており、その連携をスムーズにするため、患者の家に“連絡ノート”を置いています。

そのノートには医師、訪問看護師、家族などがコメントを書けるようになっていて、情報の共有や相談もでき、連携が取りやすいという評判です。
逆に、普通の医師はなかなか直接連絡もできないし、患者のための意見も聞いてもらえないことが多いんだとか。

愛知県はインターネットのシステムを利用して、医師とスタッフが情報共有することを勧めています。しかし現状は、その利用どころか、引き継ぎ用の連絡ノートすら作らないことが多いといいます。

誤診じゃない、興味がないだけ

3月末、和子さんがいきなり宣言をしました。

「もうね、私の命日は4月8日に決めました。お釈迦様の誕生日がいい。そこで死ぬから」

和子さんは5ヵ月前に、厚生労働省指定の「がん診療連携拠点病院」から在宅医療に切り替えました。がん診療連携拠点病院は名古屋市内に7つあり、がん治療において地域の中核的役割を担っています。当然、家に戻った患者についてもフォローするはずですが…。

杉本先生「乳がんで10年近くずっと診ている主治医の先生が、『患者さんがボケてきた』と。診察でいろいろ話を聞いてる間にも5分置きにトイレに行っちゃうような状況だと。
普通はですね、脳転移を疑うんですよね。『調べていただけましたか?』と私が聞いたら『いやいや、やってません』と。『本人が積極的な治療を希望してないので』って言って」

その主治医は安易に認知症だと決めつけ、ろくに検査もしなかったことが判明。早速杉本先生が別の病院でCT検査をしてもらったら、大きい脳転移が見つかったんだそうです。

当時の和子さんは寝たきりで、いつ亡くなってもおかしくない状況でした。杉本先生は認知症ではなく脳腫瘍の治療を始めました。

杉本先生「脳の腫瘍があるとその周りが圧迫されてむくんでくるんですよ。そのむくみを取ってくれる作用のあるステロイドの、内服をすぐに開始して。2日後には普通に歩いてましたね」

そんな誤診は時々あるものなんでしょうか?

「誤診じゃなくて、患者に興味がないだけ。抗がん剤の治療が終わったもんだから」

怒りを隠せない杉本先生です。

そうして、新たに生まれたこの5ヶ月間。和子さんの感想は?

「楽しいです。先生との会話ね。フフフッ♪」

宣言通りに…

4月4日の診療日。この辺りの和子さんは身体も弱り、夜中に杉本先生に電話をするほど、寂しさを訴えるようになりました。
そこで夜は、息子さんや姪っ子さんが泊まるようになりました。

そして4月8日、深夜0時過ぎ。杉本先生が息子さんの呼び出しで、和子さんの家に行きました。

杉本先生「今、0時45分に死亡を確認しました」

死因は脳腫瘍でした。

前山和子さんは、自ら口にしていたお釈迦様誕生日に、75歳の生涯を閉じました。
この日は、息子さんが泊まりに来ていました。息子さんのすぐそばで亡くなった和子さん。苦しむことなく、その顔は穏やかだったといいます。

杉本先生と、ケアマネージャーが和子さんの髪を洗い始めました。普通、医師が遺体の清めをすることはありません。
普通は、夜が明けてから来るものですし、夜中に来たとしても、たまたまその日が当番の見たこともない医師で、事務的に死亡診断書を書くだけだそうです。

それだけ、杉本先生が和子さんに寄り添っていたということでしょう。

更なる覚悟が必要

厚生労働省の最新の調査では、65歳以上の高齢者世帯のうち、既に半数近くが独居世帯です。
和子さんは独居生活でありながら、医師やスタッフ、家族に恵まれて、在宅医療の良い最期を迎えたと言えます。が、現実はそううまいことばかりいきません。

2025年、団塊の世代が後期高齢者に達し、国民の4人に1人が75歳以上の高齢者になります。厚生労働省はその対策として、病院から在宅に患者を移し、病院のベッド数を最大20万床減らすことを目標にしています。
愛知県は今後、在宅医療の充実を図ると言いますが…。

2025年まであと8年。国も、県も、医師も、そして患者も、更なる覚悟が必要です。
(岡戸孝宏)
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2018年06月28日21時00分~抜粋

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