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【エッセイ】ラジオ局がステッカーを作る理由とグルメレビューサイト。

グルメレビューサイトで活動する有名ブロガーが、特定の店で接待を受けていたという疑惑が週刊誌で報じられました。当該のブロガー氏は報道以降、記事を消したりレビューを止めたりしたそうですが…なんて堅く始めてしまいましたが、私は驚きましたよ。
その人のプロデュースするカップ麺がコンビニに並んでいたのを見かけましたよ。そして買っちゃいましたよ。

ですが、私が引っかかった話は、それではありません。

ブロガーの方は「ステッカー」を作り、訪れたお店などにそれを配っていたとのこと。

訪れた店の扉か、レジのところか、そういうところに貼ってもらうことで、店・本人双方の値打ちを上げようというところなのでしょうか。あの人が訪れた店ならって思う人もいるのでしょう。そう、これがWin-Winってヤツですよ。私は今この言葉を照れながら使いました。そして私は、このステッカーがネットオークションに出品されているのを見てしまいました。ステッカーの価値ってなんでしょう。

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「ステッカーを差し上げます」。


ラジオの得意技であり常套句です。作る側からしたら、さほど値段をかけず大量に作れ、送料も安く済みます。かつてはじゃんじゃん配っていましたが、やはり時代のせいか、最近では「投稿が読まれたらプレゼント」という例が増えてきたように思えます。人気は変わらず、私の知り合いのラジオ制作者は「ウチの番組、グッズも色々あるんだけど、何故かコストが一番安いステッカーが人気なんですよ」なんて話も聞きます。

でも、FM局(この場合、ワイドFMをやっている局でなく、開局からFMをやっている局ね)は、今でも配っているところ、多いですよね。

ステッカーは上手いバンドの証?


ラジオ番組がステッカーを配り出して幾年月が経ったでしょうか。
深夜放送全盛期の1970年代前半、アマチュアバンドの演奏コーナーを設けていたあるラジオ番組は、オーディションに参加するとステッカーが貰えたそうで、一説によるとそれをギターケースに貼ることが、当時のアマチュアバンドのステータスだったとか。「俺、あの番組の、バンドのコーナーのオーディションに出たんだぜ」ということなのでしょう。これでクラスの人気者です。
 

俺たちのアメリカンスタイル



でも、このステッカー文化のルーツは、やはりアメリカなんですね。日本と違い、ラジオ局の数がベラボーに多い故、その放送局を知ってもらうために周波数をドーンと記します。何せアメリカ、ラジオ局の数が違います。そのうえクルマ社会、バンパーに貼ってもらうステッカーだけでなく、フリーウェイ沿いの局の看板も同じように周波数をドーンです。ステイチューンです。

そして、放送局の数が多い故、その局の専門ジャンルを記す場合もありますね。「ROCK」「HIPHOP」、ヒットチャートが売りの局は「CHR」といった文字が大きく並びます。ニュースやスポーツ中継、トーク番組の専門局も、そうしたものを作っているようです。それは「僕らが憧れるアメリカ」を1枚に凝縮したようなデザイン。卒業式の夜、ダンスパーティーであのコを連れ出すぜ。
 

みんなが熱狂したあのステッカー



日本では、大阪のFM802が行なった、1991年から始めた「バンパーステッカーキャンペーン」がラジオ界を席巻しました。街角に局のレポーターが待機。放送で車のナンバーを読み上げて、その車のドライバーが放送を聞いていたら、局にコールバック。そしてプレゼントをあげるというもの。時には学生カバンにステッカーを貼っていた女子高生にもプレゼント渡していたというくらいですから、その浸透度は高かったのです。

当時、FM802に勤務していた、エッセイスト、ライターの森綾さんの本「読むFM802」(日経BP出版センター 1994年)によれば、開始半年で100万枚超のステッカーを配ったということです。ラジオ界のみならず、関西のカルチャー史にも名を残すバンパーステッカー。数年前にも、大阪の街角でもはや年代物となった90年代に生産された車にステッカーが貼られているのを見たくらいです。

翻って関西以外の地域では、そこまでの展開が少ないように思っていたのですが、10年程前、首都圏のドライバーを中心に、今も続く小林克也さんの人気番組のステッカーが流行りました。

これは、ステッカーをバンパーに貼る人もいましたが、ダッシュボードにステッカーを置くことで、対向車からも「あ、同じステッカーを置いている。同じ番組を聴いている」というメッセージとなり、運転者同士、親指を立てるサインを送り合うムーブメントが起こりました。そのムーブメントはトラックドライバー、一般車のみならず、我が家の近所を走る路線バスの運転手が、クリップボードにステッカーを貼って、ダッシュボードに置いているのを見かけたほどです。

ステッカーという、不特定多数に見られる場所で目にされるものは、女子高生のカバンや、路線バスのフロントなど、ラジオ局や番組の想像を超えた場所に広まっていくもので、知らず知らずのうちにムーブメントを広めていったのかもしれません。そして受け取ったリスナーは、番組への帰属意識の象徴と捉えるのかなとも思います。今はブログやハッシュタグがその接点の証ですが、かつてはステッカーがその役割を担っていたのかもしれません。
 

グルメ番組と矜持



以前から「関西の番組はステッカーをとにかく作るなぁ」と思っていました。その影響は802が大きいのかもしれませんが、それ以前の番組。映像という「見える」ものがありながらも、ステッカーを作って配るテレビ番組の例がいくつかありました。前々回の「ラジオ化するテレビ」で挙げたテレビ番組はじめ、そうした例はいくつかあるのですが、放送が流れない場所でも、番組の名前を残すという文化があるのかもしれません。

その関西で食事をすると、店のドアやレジ前で見かけるのが、関西ローカルの某長寿グルメ情報番組のステッカー。番組で紹介されたお店なのでしょう。テレビ番組か、ブロガーかの違いはあれど、それは、お墨付きであり星であり、加工された一枚の紙ではありますが「信頼」の証であり、同時にそれを渡す側にも矜持が求められるものだと思います。

思い出はすみっこに潜み続ける。


でも、ラジオ業界にはこんな「恐怖の法則」もあるんです。

「ステッカーを作ると、次の改編期で番組が…」
そんな話を聞いたことがありました。

幸い私の番組にはそんなことはなかった、ステッカーでは。

でも「クリアファイル」ではそれが現実となりました。
クリアファイルを作った半年後、私が担当した番組が終わりました。

クリアファイルが入った段ボールは数年に亘って制作フロアの隅っこに置かれ、スタッフが業務で使う書類整理用に生まれ変わりました。当時の番組を知らないスタッフから、10年近く前に終わった、そのクリアファイルに入れた書類を渡されると、なんとも言えない気持ちになるのです。あんたは知らないだろうけど俺はこの番組で色々やったんだよクイズに参加したリスナーにこのクリアファイル送ってたんだよ当時のパーソナリティーは番組終わった後もラジオで喋りたいって言ってて俺の結婚パーティーにも来てくれたんだよその子今年の春からFMの人気番組のレギュラーになって俺は本当に嬉しかったんだよだから無機質なその事務書類を俺の思い出が詰まった番組のクリアファイルに入れないでくれよそっちの黄緑のクリアファイルにしろよぉぉぉぉアァァ!

え?黄緑のクリアファイルも終わった番組のグッズですか?
あ、しかも同じ時間帯の…。そうですか。

終わった番組のステッカーやクリアファイルは、スタッフルームの片隅で眠り続け、そこで働く者の日常にひっそりと忍び込み続けるのです。

河野虎太郎
1974年生まれ。「料理を美味しく見せるアプリ」をダウンロード。自分で作った牛すじ煮込みの画像を、どうすればお店の煮込みのように見せることができるか試行錯誤中。
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