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【エッセイ】ラジオが流れているラーメン店は、美味く感じるの法則(仮説)

最近、あなたが足を運んだ店でラジオ、かかっていました?
店先で流れているラジオは、なんか味がある、なんだかわからないけど味があると思っていますが、理由はさっぱりわかりません。自分が関わっていない番組でも、ラジオの音が店の雰囲気を引き立てるとでもいいましょうか。きっと隠し味のようなものがあるのかと勝手に思っています。

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放送局の近くの飲食店なのに


でも、昔から思ってることなんですが、A局の前にある立ち食い蕎麦店では、B局の放送が流れ、B局の近くにあるラーメン店ではC局が流れている…これは一体どうしたものかという話です。「ちょっと、ウチの局に変えてよ」とか言ってくる関係者はいないのでしょうか。それともおおっぴらに他局を聞くのはこういう時と考えているのか…
そもそも人の店でラジオのチューニング変えてくれ…とは、私は言えません。

おしゃれなカフェで、おしゃれなFM番組がかかっていたのは今や昔。すでにワイドFMの時代ですよ、あーいあーむえっふえーむ、なーいんてぃーぽいんせーぶぅーんですよ。
お店の雰囲気にあえば、どこのラジオ局でもかかっていたら、うれしい!ありがたい!大好き!タマゴまたはネギトッピングサービス!みたいなものです。別にまぜそばの店の話をしているわけではありません。

でも、FMラジオが店内でかかっていることが、おしゃれとされる時代があったのは事実。80年代後半から90年代初頭のお話です。東京や大阪に2局目の民放FM局が開局した頃、人々はそのお洒落さに釘付けになります。その波は都市部からリゾート地にも広がるのですが、如何せんそこは都市部のFMが受信できるエリアではありません。

で、リゾート地のお店、お土産屋さんやカフェの人はどうしたのか?オーナーや店員が車で東京に出向き、オシャレなFM放送の番組をカセットテープに録音して、それを店先で流していたというのです。色々と問題はありますが、まぁ、大らかな時代の話です。そこまで人々はオシャレなFMに殺到していた、そういう時代もあったのです。

また寄っちゃおう


さて、筆者は東京で放送作家という仕事を営んでおります。何を偉そうにという話ですが、まぁ聞いてください読んでくださいこれは得だすお聞きやす…いや、そういうことを書きに名古屋まで来たわけじゃないんです。すみませんデータ入稿ですコレ。いや、この「ラジチューブ」にご来訪頂いた皆様の、一服の清涼剤となる執筆を心がけ、心がけてはいますが、皆様の御心をザワザワさせてしまったらすみません。先に謝っておきます。

で、ラジオ・テレビの番組作りにこの約20年関与してきましたが、やっぱり、放送が流れている場所に出くわすと、それはそれは嬉しいものです。変な話、それだけでその店に親近感が湧く、また寄っちゃおうと思ってしまうものです。

「俺の!俺の番組!」


金曜日の夜、ある生放送の番組を終えて、東京は新宿にあるラーメン店に立ち寄りました。すると、さっきまで仕事をしていたラジオ局の番組が流れていました。そうなると、私も単純な人間ですから「そうか…俺の番組もここで流れてるんだなぁ。瓶ビールに餃子で、〆にラーメン食べて帰る人に、番組が届いているのか。ボカァ幸せだなぁ」くらいに思うのです。

でも、生放送の番組ゆえ、その時間に本当にその局をお聞きいただいているかどうかはわかりません。ですが、私がその店を訪れる時間は、その局の番組がかかっているのです。きっとかかっている、そう信じつつも、やっぱり疑ってしまいます。気になって気になって、さぁどうしましょう。

結局、家族を放送時間中のその店に派遣することを決めました。妻にお願いし、私はいつも通り生放送の番組を担当。そして放送を終えた頃、私の元にメールがきました。

「○○○○○○がかかっていたよ。あなたの番組じゃなかったよ」。

皆さんは「○」の数で、どこか推測するのはご遠慮ください。東京の話です。私は、出演者も他のスタッフも帰った局内で、呆然としました。どうも時間帯でラジオのチューニングを変えている店のようで、これにはやられました。

そして私は、二度とあの店に、という言葉を口にする前に独り言を呟いてました。

「今日は、焼きそばと餃子かな…」。

結局、店を恨むことなく、私はそこに通い続けています。
ラジオが流れている店で、美味けりゃ、通います。
 

河野虎太郎(放送作家)
人が喋る言葉を書いて、銭湯に行き赤身肉とホルモンを食べに行く東京在住の42歳。人生のテーマは「余興」「明るい暗躍」など。CBCラジオでは月に1度、夜が明ける頃に喋っている。どの番組かは文字数が
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