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河村たかし氏が日本保守党を離党。百田代表との確執で決別

前名古屋市長で衆議院議員の河村たかし氏が8日、共同代表を務めていた日本保守党を離党しました。当面は無所属として活動することになり、すでに日本保守党を離党していた比例代表東海ブロック選出の竹上裕子衆議院議員とともに、衆議院での会派「減税保守こども」を結成しました。

10月16日放送の『CBCラジオ #プラス!』では、元NHK解説委員で政治・外交ジャーナリストの増田剛さんに、河村氏が離党を決意した理由を伺いました。

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百田代表との関係悪化

放送前日、東京都内で河村氏と1時間余りインタビューした増田さん。相変わらず漫談調の河村節で、質問に正面から答えず自分の話したい話ばかりする河村氏に苦労したといいます。

そんな河村氏が語った離党の理由は、日本保守党の百田尚樹代表との関係が悪化して、我慢ができなくなったということでした。

河村氏は名古屋市長だった一昨年10月に、作家の百田尚樹氏、ジャーナリストの有本香氏が立ち上げた日本保守党の共同代表に就任。昨年10月の衆議院選挙に日本保守党の公認候補として立候補し当選。15年ぶりの国政復帰を果たしました。

しかし、党の運営に関する考え方の違いから、河村氏と百田氏の関係がどんどん悪化していったといいます。

党運営をめぐる対立

河村氏によると、日本保守党を大きくするために全国に党の支部組織を作り、様々な選挙に公認候補者を擁立して、政党としての仕組みを整えようとしたそうです。しかし、百田氏と有本氏は党組織の拡大に消極的で、「そもそも日本保守党には国会議員なんていらない」とまで話していたといいます。

日本保守党には、どの政党にも必ずある選挙対策委員会すらありません。党運営については、代表の百田氏と幹事長の有本氏のふたりだけで方針を決めてしまい、河村氏は共同代表という名前ではあるものの、党の意思決定については蚊帳の外に置かれていて、何の相談もされなかったそうです。

また、河村氏は日本保守党の共同代表として、名古屋や愛知県で日本保守党の事務所を運営していますが、国から受ける政党交付金は、百田氏と有本氏が独り占めしてしまい、河村氏サイドには全く配布されなかったということです。

ペットボトル投げつけ事件

今年4月に決定的な事件がありました。当時、河村氏が記者会見で「日本保守党も他の政党と同じように党大会を開いて代表選挙も行なうべきだ」と発言したところ、これが百田氏の逆鱗に触れてしまったようです。

国会の議員会館で、同じく日本保守党に所属していた竹上裕子議員の部屋で河村氏が打ち合わせをしていたところ、百田氏が乗り込んできて「お前、何勝手なこと言ってるんだ!」と怒鳴り、いきなり河村氏めがけて水の入ったペットボトルを投げつけました。

ペットボトルは河村氏には当たりませんでしたが、その後、百田氏は河村氏の目の前に自分の拳をかざして「お前、俺が殴ったら死ぬぞ」と脅したといいます。

百田氏はかつてボクシングをやっていた格闘家。河村氏はその形相を見て凄まじい恐怖を覚え、「『もうあんた殴ったらあかんよ』と言うのが精一杯だった」と話していたそうです。

それでもすぐに離党しなかったのは、衆議院選挙に日本保守党の公認で出たことや、77歳という年齢もあり「日本保守党が自分の死に場所」と思っていたこと、そして7月の参議院選挙までは我慢しようと考えたためでした。

名古屋での最後通告

参議院選挙が終わった9月、再び決定的な事件が起きました。9月17日、百田氏と有本氏が名古屋マリオットアソシアホテルの会議室に河村氏を呼び出したのです。

河村氏は暴力事件の謝罪を期待していましたが、百田氏からは謝罪の言葉はありませんでした。代わりに通告されたのは「日本保守党と減税日本の友好関係は解消する」「河村さんの共同代表を解任する」という内容でした。

河村氏が「そんなこと突然言われても承服できない」と抵抗すると、百田氏は「これは決定事項。執行部で決めた」と取り合わなかったといいます。

このことが決定的な要因となり、河村氏は日本保守党からの離党を決意しました。「もう我慢できない、これ以上一緒にやることは不可能だ」という思いだったそうです。

百田氏からペットボトルを投げられ拳をかざして脅されたことについて、河村氏は今月2日に東京地検特捜部に脅迫や威力業務妨害などの疑いで告訴状を提出しました。

そして今月8日、ついに離党届を提出。日本保守党の看板で15年ぶりに国政復帰を果たした河村氏でしたが、その歩みはわずか1年で終わることになりました。
(minto)
 
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2025年10月16日07時19分~抜粋

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