北野誠のズバリ

大河ドラマで注目、秀吉は無類の女性好きだった!?

1月12日放送『北野誠のズバリ』(CBCラジオ)では祝日特集として、歴史作家の河合敦さんが登場。

河合先生は多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師を務め、『歴史探偵』(NHK総合)などに出演されています。

今回は大河ドラマでも話題の豊臣秀吉と弟の秀長について、知られざるエピソードなどを解説しました。

聞き手はパーソナリティの北野誠と大橋麻美子です。

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「浮気が激しい」と妻が悩み

日本で三英傑といえば、いずれも尾張名古屋出身の信長・秀吉・家康。

その中で秀吉といえば、庶民の出身から関白まで成り上がった立身出世のイメージが強いですが、歴史好きの北野が河合先生に聞きたかったのが、「秀吉はかなりの女好きだったというのは本当?」ということ。

河合先生によりますとそれは本当で、寧々という正室がいながら、長浜城主だった頃からいろいろな女性と関係を持っていたのだとか。

寧々が信長と会った際に「秀吉の浮気が激しい」と愚痴を言ったあと、信長が「あなたは美しくなったので、やきもちを焼いちゃいけないよ」という慰めの手紙を送ったそうです。

ただ、秀吉が寧々と結婚する前に別の女性との間にこどもがいて、すぐに亡くなったという説があるそうで、河合先生はそのようなことがあって、跡継ぎがいないことに焦ったのではないかと語りました。

300名の女性が集まっている?

しかし、そのことを差し引いても秀吉はかなりの女性好きだったようで、宣教師のルイス・フロイスは「秀吉はすでに50歳を過ぎているのに性欲が強く、それについての正常な判断力が保てない。御殿の中に若い女性を300名囲っていて、さらに各地の城にも多くの娘を置いていた」と記しています。

信長が「人生50年」と言っているのに、かなり違う50歳ですね。

ただし、注意しておく必要があるのは、秀吉はバテレン追放令を出すなどキリスト教に対して厳しかったため、記述にはやや怪しい部分があるかもしれません。

300名は盛っているかもしれませんが、とはいえ他の記録を見てもかなり女性が好きことが伝わっています。

大奥を作ったのは秀吉?

そのような多くの女性がどこにいたのかと思ってしまいますが、実は大奥を初めて作ったのは秀吉といわれています。

大阪城や聚楽第、晩年には伏見城などに女性だけがいる一角があり、基本的には男性も出入りが自由だったそうですが、晩年は制限していたそうです。

また北野は「応仁の乱で荒廃した京都の街が、花街をきっかけに街を活性化させたのも秀吉」と語りましたが、実際にその通りだそうです。

至るところに作られた女性と遊ぶ娯楽施設を一カ所にまとめたことで、商人など多くの人が集まってきたそうです。

晩年に変わった?

秀吉はかなり女性好きにもかかわらず、豊臣家ではそこまで多くのこどもは生まれていません。

側室である淀殿、茶々との間ではこどもが2人いますが、妊娠した際にある時、聚楽第の門に「茶々が妊娠したのは秀吉との間の子ではない」という落書きを発見。

それを知って激怒した秀吉は、10数名ほどいた門番を殺したうえに、犯人と思われる人を捕まえて町ごと焼き払い、関係のない町の人も100名以上殺すという異常な行動に出たというエピソードがあったそうです。

そのためか、秀吉には晩年おかしくなってしまったというイメージもあるようです。
(岡本)
 
北野誠のズバリ
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2026年01月12日14時43分~抜粋

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