名古屋城天守閣、木造復元へ。天守閣の役割を知ろう。

多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N / カルチャー

5月7日をもって名古屋城天守閣が入場禁止となりました。
というのも2022年12月完成を目指して名古屋城の天守閣を木造で復元しようという計画が進んでいるからです。

『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』、5月25日の特集は「天守閣」を取り上げました。
スタジオに、日本建築の歴史について詳しい広島大学の名誉教授、工学博士の三浦正幸先生を招いて、天守閣の役割、登場したいきさつ、そして名古屋城の天守閣について伺いました。

美しい名古屋城

名古屋城の天守閣ができたのは1612年(慶長17年)と言われています。

江戸幕府ができて間もない頃、徳川家康の命によって、尾張の地に大きなお城が作られました。明治維新になっても取り壊されることがなく、戦前には城郭建築として初めて国宝にも指定された、立派な天守閣を持ったお城でしたが、太平洋戦争における空襲で焼失してしましました。

現在の天守閣は戦後1959年(昭和34年)、鉄筋コンクリートにより地上5階地下1階で再建されたものです。それを焼失前のように木造による復元計画が進んでいます。

多田「天守閣は城郭建築としてはとてもきれいで見事なものですよね」
三浦先生「特に名古屋城は富士山のような形をしています。城郭の中でも一番美しいと定評があります」

初めての本格的天守閣

城というと天守閣を思い浮かべる方も多いですが、実はそもそも戦国時代における「城」とは砦を指していました。
天守が作られるようになったのはいつ頃からでしょうか?

三浦先生「タワーのような建物は近畿地方に割と早くからできていますが、本格的に造ったのは織田信長で、岐阜城です。
宣教師のルイス・フロイスが克明に記録をつけています。4階建てで、1階が信長の住まい、2階が奥さんと侍女たち、3階が屋根裏とお茶室、4階が遠くを見るための物見台になっています」

多田「その頃、高層でそれぞれの階に目的があったものを作るのはすごいことでしょうね」

三浦先生「五重塔などありましたから、技術的な問題はなんとかなったと思います。問題は使い道です。昔から天皇陛下、貴族、将軍は自分の頭の上に他の人が乗るのを嫌っていましたから、身分の高い人が住むのは一階建てに決まっていました。
飛鳥時代以来、奥さんが自分の頭の上に住んだ天下人は信長が初めてでした。いわば日本で初めて奥さんの尻の下に敷かれた人です(笑)」

多田「その後、信長の作った安土城はすごかったそうですが」

三浦先生「はい。日本で初めて高い石垣の上に建てました。外から見た時屋根が五重の天守です。度肝を抜かれたでしょうね」

天守閣の役割

多田「お城は権力を持った人間が広い敷地を自分のものにして、外側には堀があって、石垣があって、塀があって、本丸とか二の丸とか櫓とか作って、その真ん中に天守閣というタワーを作った。天守閣の役割は何ですか」

三浦先生「信長が作った時は権威の象徴です。天守は敵に対して自分の力の強大さを見せつけることによって、戦わずして屈服させるという戦略的なものでした。
安土城には将来敵になるような者も自ら招いて案内しています。そうすると信長の財力、軍事力が全部わかりますから、どっちつかずの人はみな信長に味方する。そういう戦略兵器でした」

抑止力から軍事施設へ

多田「一番上は物見台として、敵が攻めてきた時すぐわかると思いますが」

三浦先生「ほとんどそうは使ってないです。一番は戦にならないような抑止力です。
秀吉も大阪城をそういった権威の象徴として作っています。家康も名古屋城と江戸城を権威の象徴として作っています。名古屋生まれの三英傑は(天守を)抑止力と思っていた。

ところがその下の大名たちはちょっと考え方が違っていた。天守で本当に戦をしてしまおう、籠城のための軍事施設と考えた。そうすると天守の一番上は物見台、敵に指令をするための司令官の居所です。

その最たる軍事施設が姫路城の天守閣です。
外から見ると、窓の近くに小さな窓がたくさんついています。あれは狭間、鉄砲を撃つ穴です。内側に広くなっていて、撃ちやすく狙われにくい」

多田「熊本城もそうですね。西南戦争の時にその力が証明されてなかなか落ちなかったお城ですね」

日本一の天守閣

天守閣は、江戸時代にできて多くは戦争で焼けました。
現存しているものは国宝で、犬山城、松本城、姫路城、彦根城、松江城。ほかに重要文化財として、弘前城(青森県)、丸岡城(福井県)、備中松山城(岡山県)、松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、丸亀城(香川県)、高知城(高知県)があります。

そして、名古屋城を当時のまま復元しようという計画が進行しています。

多田「まず、名古屋城の天守閣は日本一の天守閣だった?」

三浦先生「もちろんそうです。体積で考えた時、日本史上最大です。
姫路城は現存天守としては全国第一位の大きさですが、名古屋城の天守は、一階の床面積が2倍以上あります。高さも高いので、だいたい体積で2.5倍くらいです」

なぜ大きな天守閣を作ったのか?

多田「徳川幕府はどうして尾張に大天守のお城を作ったのですか?」

三浦先生「まだ大阪城に秀吉の息子、秀頼がいました。一応、家康が征夷大将軍になりましたから、天下の実権は家康が持っていますが、西日本にいる大名たちはまだ豊臣の家臣の気分です。場合によっては秀頼を主君と仰いで討幕活動を始める可能性がある。
それで大阪城の3倍以上もある超巨大天守で守りの堅い城を作れば、外様大名たちは謀反を起こさないで平和に暮らすだろう、という抑止効果で作りました」

再建の可能性は?

多田「例えば愛媛県の大洲城は木造で復元されていますが、比べると小さいですね」

三浦先生「大洲城は名古屋城の小天守より小さいです。名古屋城は大洲城の10倍から20倍の間です」

多田「そういったものを作るのは初めての経験ですね。うまくいくでしょうか」

三浦先生「日本は幸いにも世界一の建材であるヒノキがたくさんあり、なんとか調達できる予定です。木造建築技術は世界一です。しかも400年前の技術から後退したわけでなく、現在も維持していますので、十分建てることは可能です」

多田「あとはお金ですね」

三浦先生「今のコンクリートの天守ですと耐用年数が最大80年。木造ですと、400年から500年くらいもちます。だから費用対効果で考えると木造の方が安いです」

多田は最後に「名古屋城の木造の再建、ロマンとしては非常にいいですね」とまとめました。

天守閣についていろいろ知ると、名古屋城再建の夢がますます膨らみますね。
(みず)
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2018年05月25日08時13分~抜粋

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