元中日ドラゴンズ投手で野球評論家の川上憲伸さんが、3月22日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演。
前回に続き、川上さんが投手となったエピソードを若狭敬一アナウンサーが尋ねます。
前回までのあらすじ
徳島商業に入学した当時の川上さんは、ピッチャーに憧れながらも、ポジションはショートでした。
ある日、ピッチャーのチャンスが訪れますが大暴投。ストレートのフォアボールを出してすぐに交代。
試合後に「ピッチャー好きだよね?」と声をかけてきたのが、地味な同級生カンパチ君でした。
カンパチ君は元キャッチャー。「憲伸、もうちょっとキャッチャーの方向いて投げたら良くなるよ」と秘密練習を開始しました。
ひと冬越えた春の練習試合。2試合あった練習試合のうちの2日目。
1年生はまだ入って来ていないので、2年生と3年生しかおらず、リリーフが足りなくなってしまいました。
川上「さあ困ったってことで、一度ピッチャーをやらせた経験のある僕に、もう1回投げてみろとなったわけですよ。誰も期待してないんですけどね」
ある日、ピッチャーのチャンスが訪れますが大暴投。ストレートのフォアボールを出してすぐに交代。
試合後に「ピッチャー好きだよね?」と声をかけてきたのが、地味な同級生カンパチ君でした。
カンパチ君は元キャッチャー。「憲伸、もうちょっとキャッチャーの方向いて投げたら良くなるよ」と秘密練習を開始しました。
ひと冬越えた春の練習試合。2試合あった練習試合のうちの2日目。
1年生はまだ入って来ていないので、2年生と3年生しかおらず、リリーフが足りなくなってしまいました。
川上「さあ困ったってことで、一度ピッチャーをやらせた経験のある僕に、もう1回投げてみろとなったわけですよ。誰も期待してないんですけどね」
二度目のチャンス到来
二度目の登板の結果の前に、同級生・カンパチ君との秘密練習の実態が語られました。
徳島商業は街中にあるため、夜10時半には照明を落とさないといけなかったそうです。そのため、小さな電球を点けて薄暗い中での練習。時にはカンパチ君、取り損ねた球を身体に当てていたんだとか。
そんな秘密練習を続けた川上さんは再びマウンドへ。
しかし、それまで薄暗いところでしか投げてこなかった川上さんの心境は複雑だったようです。
川上「明るくて周りが見えちゃってるでしょ。マウンド行く時いろんなこと思い出すわけ。暴投放ったことも甦ってくるし」
送り出した監督も「第二試合途中から投げる川上はコントロールが怪しいので、気をつけておくように」と周囲に伝えている雰囲気だったそうです。
徳島商業は街中にあるため、夜10時半には照明を落とさないといけなかったそうです。そのため、小さな電球を点けて薄暗い中での練習。時にはカンパチ君、取り損ねた球を身体に当てていたんだとか。
そんな秘密練習を続けた川上さんは再びマウンドへ。
しかし、それまで薄暗いところでしか投げてこなかった川上さんの心境は複雑だったようです。
川上「明るくて周りが見えちゃってるでしょ。マウンド行く時いろんなこと思い出すわけ。暴投放ったことも甦ってくるし」
送り出した監督も「第二試合途中から投げる川上はコントロールが怪しいので、気をつけておくように」と周囲に伝えている雰囲気だったそうです。
エースで四番になったけど
二度目のチャンス。ストレートしかない中、フォアボールを出しながらも、やりくりしてなんとかなったそうです。
川上さんはこの登板の後、ショートの練習からピッチャーの練習へ変更することに。
3年のエースは右ひじの故障。2番手の2年生はイップス。この時、チームにはピッチャーがおらず、2年生になった川上さんがいきなりピッチャーになったのです。
川上「俺、エースで四番じゃんみたいな感じ。おおっと思ったら、2年生の夏の予選が始まる前の1週間前に足首骨折、試合出られません。当然、初戦敗退です」
川上さんはこの登板の後、ショートの練習からピッチャーの練習へ変更することに。
3年のエースは右ひじの故障。2番手の2年生はイップス。この時、チームにはピッチャーがおらず、2年生になった川上さんがいきなりピッチャーになったのです。
川上「俺、エースで四番じゃんみたいな感じ。おおっと思ったら、2年生の夏の予選が始まる前の1週間前に足首骨折、試合出られません。当然、初戦敗退です」
ノーコンが出た
そんなわけで、川上さんが本格的にピッチャーに転向したのは、2年の秋から。県大会で準優勝して四国大会まで進出したまではよかったのですが、次の高松商業との試合ではピンチに見舞われます。
川上「ノーコンの川上君、いきなり4番バッターの頭部へデッドボール。そこから本性のノーコンが出てきてストライク入らず、コールド負け」
ボールを当ててしまって動揺したという川上さん。
夏の甲子園に賭けた川上さんはコントロールを付けるための猛特訓に入ったそうです。
川上「ノーコンの川上君、いきなり4番バッターの頭部へデッドボール。そこから本性のノーコンが出てきてストライク入らず、コールド負け」
ボールを当ててしまって動揺したという川上さん。
夏の甲子園に賭けた川上さんはコントロールを付けるための猛特訓に入ったそうです。
投球フォーム改造
高校2年生の四国大会の負けから、3年に至るまでの冬に猛特訓。四国地方の強豪校のピッチャーの投球ビデオを見てフォーム改造に入ったそうです。
いろんな投手がいる中で川上さんが手本にしたのは、尽誠学園の宮地克彦投手。
川上「宮地投手のように足をヒールアップして、ちょっと肘を下げてスリークォーターっぽく壁を作って向かって行くようになったら、すごく低いところから投げれるようになったんです」
その宮地さんは1990年に西武ライオンズに入団しますが、外野手に転向。
2004年から福岡ソフトバンクホークス(当時はダイエーホークス)に移籍し、2006年まで活躍しました。
いろんな投手がいる中で川上さんが手本にしたのは、尽誠学園の宮地克彦投手。
川上「宮地投手のように足をヒールアップして、ちょっと肘を下げてスリークォーターっぽく壁を作って向かって行くようになったら、すごく低いところから投げれるようになったんです」
その宮地さんは1990年に西武ライオンズに入団しますが、外野手に転向。
2004年から福岡ソフトバンクホークス(当時はダイエーホークス)に移籍し、2006年まで活躍しました。
自分だけの感情
若狭「リスナーで、尽誠学園の宮地ってわかる人おるかな?」
若狭は岡山県出身。岡山県でも香川県大会は放送されており、よく見ていたそうです。
若狭の記憶の中で強烈に覚えていたのが、中学3年生頃に見た宮地さんが出た尽誠学園と岡山県の倉敷商業との対戦。
若狭「尽誠学園の宮地さんってむちゃくちゃ脳裏に焼き付いてる。まさかそれを川上さんが真似してたって、なんかすごい感動です!」
川上「だから、ソフトバンク時代の宮地さんと対決した時に、ありがとうございますっていう、僕だけの特別な感情がありました」
若狭は岡山県出身。岡山県でも香川県大会は放送されており、よく見ていたそうです。
若狭の記憶の中で強烈に覚えていたのが、中学3年生頃に見た宮地さんが出た尽誠学園と岡山県の倉敷商業との対戦。
若狭「尽誠学園の宮地さんってむちゃくちゃ脳裏に焼き付いてる。まさかそれを川上さんが真似してたって、なんかすごい感動です!」
川上「だから、ソフトバンク時代の宮地さんと対決した時に、ありがとうございますっていう、僕だけの特別な感情がありました」
控え目ないいやつ
川上「大学ではフォームが変わりましたけど、僕のフォームが仕上がったのはカンパチと宮地さんのおかげですね」
若狭「カンパチ、いいやつですね」
川上「本当にいいやつです。レギュラーには程遠い選手でしたが、裏方でずっと頑張ってくれてた」
大人になってからもカンパチ君とは付き合いがあるのか、気になるところです。カンパチ君はシャイであまり喋らないタイプだとか。
川上「僕にはしょっちゅう電話してきてましたね。こっそり結婚したことも僕には連絡してくれました。憲伸にしか言ってないけどって」
若狭「シャイだなあ(笑)。かけがえのない支えや仲間がいるっていうのが、部活の一番いいところですよね」
川上憲伸さんの高校時代の友情物語に、野球部だった若狭敬一もしみじみしていました。
(尾関)
若狭「カンパチ、いいやつですね」
川上「本当にいいやつです。レギュラーには程遠い選手でしたが、裏方でずっと頑張ってくれてた」
大人になってからもカンパチ君とは付き合いがあるのか、気になるところです。カンパチ君はシャイであまり喋らないタイプだとか。
川上「僕にはしょっちゅう電話してきてましたね。こっそり結婚したことも僕には連絡してくれました。憲伸にしか言ってないけどって」
若狭「シャイだなあ(笑)。かけがえのない支えや仲間がいるっていうのが、部活の一番いいところですよね」
川上憲伸さんの高校時代の友情物語に、野球部だった若狭敬一もしみじみしていました。
(尾関)
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