中日ドラゴンズのスタジアムMCを務める玉腰佳弘さんが、2月13日放送のCBCラジオ『ドラ魂キング』に出演しました。
試合を盛り上げるスタジアムMCは現在3人が担当。もともと俳優、ナレーターとして東海地方で活動する玉腰さんは、昨シーズンからMCを務めています。
サヨナラ勝ちは要注意!中日ドラゴンズ スタジアムMC玉腰佳弘が明かすその理由
ドラファン家庭で育つ
「ホームラーン!」と声を張り上げて始まった玉腰さんのインタビュー。
生まれてから51年間、愛知県一宮市に住み、祖父の代から中日ファンとして英才教育を受けて育ったそうです。
玉腰「MCが決まった時はめちゃくちゃ嬉しかったですね。それまでもファンクラブに入ってたり、大学時代はナゴヤ球場の警備のアルバイトもしてました」
警備のアルバイトでは、試合が気になって見てしまうと、お客さんから「見るな」と露骨に怒られたこともあったそうです。
生まれてから51年間、愛知県一宮市に住み、祖父の代から中日ファンとして英才教育を受けて育ったそうです。
玉腰「MCが決まった時はめちゃくちゃ嬉しかったですね。それまでもファンクラブに入ってたり、大学時代はナゴヤ球場の警備のアルバイトもしてました」
警備のアルバイトでは、試合が気になって見てしまうと、お客さんから「見るな」と露骨に怒られたこともあったそうです。
少年時代に憧れた選手
小中学生の頃は「少年ドラゴンズ」というファンクラブに入会していたそうです。10枚ほど貰えた特典のチケットでナゴヤ球場へ通っていたんだとか。
少年野球でセカンドを守っていたという玉腰さんに、当時応援していた選手を聞きました。
玉腰「小さい頃は自分と同じポジション、同じ背番号の人を好きになるんですよ。たぶん50歳以上の人しか分かんないと思うんですけど、当時、背番号8だった田野倉利男選手を応援してました」
田野倉さんは、1980年、引退間近の高木守道さんと併用する形でセカンドに使われていました。高木さんが引退後の81年にセカンドのレギュラーになりました。
少年野球でセカンドを守っていたという玉腰さんに、当時応援していた選手を聞きました。
玉腰「小さい頃は自分と同じポジション、同じ背番号の人を好きになるんですよ。たぶん50歳以上の人しか分かんないと思うんですけど、当時、背番号8だった田野倉利男選手を応援してました」
田野倉さんは、1980年、引退間近の高木守道さんと併用する形でセカンドに使われていました。高木さんが引退後の81年にセカンドのレギュラーになりました。
応援の遠征は当然
玉腰「こういう仕事をして地方の仕事に行くこともあるので、日程を調べて見に行ったりすることもありました」
また、同朋大学時代の先輩がプロ野球選手になったそうです。
1992年のドラフトで3位指名を受けて西武ライオンズに入団した豊田清投手がその人。
豊田投手は1995年にプロ初登板。2001年抑え投手へ転向。読売ジャイアンツ、広島カープと渡り歩き、現在は西武の一軍ピッチングコーチをしています。
この当時、玉腰さんは埼玉県所沢市の西武の本拠地、西武ドーム(現ベルーナドーム)で観戦後、東京の神宮球場か神奈川県の横浜スタジアムでも試合を観てから名古屋に帰るということもあったとか。
玉腰「当時の西武はカブレラも松坂投手もいたし、強かったですね。時を同じくしてドラゴンズも強かったんで、どっちの応援をしたらいいのか多少迷いましたね(笑)」
2004年の日本シリーズはドラゴンズと西武ライオンズの対決。4勝3敗で西武が日本一になりました。
また、同朋大学時代の先輩がプロ野球選手になったそうです。
1992年のドラフトで3位指名を受けて西武ライオンズに入団した豊田清投手がその人。
豊田投手は1995年にプロ初登板。2001年抑え投手へ転向。読売ジャイアンツ、広島カープと渡り歩き、現在は西武の一軍ピッチングコーチをしています。
この当時、玉腰さんは埼玉県所沢市の西武の本拠地、西武ドーム(現ベルーナドーム)で観戦後、東京の神宮球場か神奈川県の横浜スタジアムでも試合を観てから名古屋に帰るということもあったとか。
玉腰「当時の西武はカブレラも松坂投手もいたし、強かったですね。時を同じくしてドラゴンズも強かったんで、どっちの応援をしたらいいのか多少迷いましたね(笑)」
2004年の日本シリーズはドラゴンズと西武ライオンズの対決。4勝3敗で西武が日本一になりました。
こども心に痺れた試合
リスナーの質問に丁寧に答える玉腰さん。
「スタジアムMCをやっていて一番嬉しいこと、嬉しかったことを教えてください」(Aさん)
玉腰「初勝利の時は本当に嬉しかったですね。僕のMCデビュー戦は負け試合だったんですよ」
こどもの頃から数えきれないほど試合を観ている玉腰さんの、仕事以外での思い出深い試合も聞きました。
玉腰「近藤真一さんのデビュー戦ノーヒットノーランという試合を生で観まして、こども心に痺れましたね」
1987年8月9日、ナゴヤ球場で行われたジャイアンツ戦。近藤投手は初登板でノーヒットノーランを達成しました。
ちなみに近藤さんも、地元一宮市の中学校の先輩に当たるそうで、何かとドラゴンズに縁があります。
「スタジアムMCをやっていて一番嬉しいこと、嬉しかったことを教えてください」(Aさん)
玉腰「初勝利の時は本当に嬉しかったですね。僕のMCデビュー戦は負け試合だったんですよ」
こどもの頃から数えきれないほど試合を観ている玉腰さんの、仕事以外での思い出深い試合も聞きました。
玉腰「近藤真一さんのデビュー戦ノーヒットノーランという試合を生で観まして、こども心に痺れましたね」
1987年8月9日、ナゴヤ球場で行われたジャイアンツ戦。近藤投手は初登板でノーヒットノーランを達成しました。
ちなみに近藤さんも、地元一宮市の中学校の先輩に当たるそうで、何かとドラゴンズに縁があります。
サヨナラ勝ちには要注意
「スタジアムMCをする際に、いつも心掛けていることは何ですか?」(Bさん)
玉腰「応援を思いっきりしたいんですが、そこはぐっと堪えて、ちゃんとお仕事をするという冷静な部分も持っておかないといけません」
特にサヨナラ勝ちの試合は注意が必要だそうです。
去年、8月13日にバンテリンドームで行われた広島戦は、宇佐見真吾選手がサヨナラホームランを打ちました。この時、玉腰さんがMCを担当していたそうです。
玉腰「盛り上がりました。だいぶ慌てましたけどね。『やったー、サヨナラホームランだ!』って喜んでたら、横から『玉腰さんMC、MC!』『あ、ハイハイ!』ってなりました(笑)」
玉腰「応援を思いっきりしたいんですが、そこはぐっと堪えて、ちゃんとお仕事をするという冷静な部分も持っておかないといけません」
特にサヨナラ勝ちの試合は注意が必要だそうです。
去年、8月13日にバンテリンドームで行われた広島戦は、宇佐見真吾選手がサヨナラホームランを打ちました。この時、玉腰さんがMCを担当していたそうです。
玉腰「盛り上がりました。だいぶ慌てましたけどね。『やったー、サヨナラホームランだ!』って喜んでたら、横から『玉腰さんMC、MC!』『あ、ハイハイ!』ってなりました(笑)」
今年こそ見たい
「スタジアムMCは3人いますが、個性を出し合うとか、統一していることはありますか?」(Cさん)
MCの言葉をきっかけに音楽や映像が流れる時があるそうで、その時の文言は統一しているそうです。その他、雰囲気など盛り上げ方はそれぞれに任されているということです。
「MC3兄弟では僕が長男。若さとか勢いは他のふたりに任せて、僕は昭和っぽさというか古風な感じで応援をしたいと思っています」
「スタジアムMCをしていて、言いづらいと感じた言葉はありますか?」(Dさん)
玉腰「間違えないことが大前提ですので、難しい名前の選手は大変です。アリスティディス・アキーノさんは3人とも必死に練習しました」
最後に中日ファンのみなさんへメッセージ。
玉腰「今年2024年こそは強いドラゴンズを見たいと思います。私も一生懸命応援しますので、皆さんもぜひバンテリンドームにお越しください」
生粋の中日ファンで、中日ドラゴンズスタジアムMCの玉腰佳弘さんでした。
(尾関)
MCの言葉をきっかけに音楽や映像が流れる時があるそうで、その時の文言は統一しているそうです。その他、雰囲気など盛り上げ方はそれぞれに任されているということです。
「MC3兄弟では僕が長男。若さとか勢いは他のふたりに任せて、僕は昭和っぽさというか古風な感じで応援をしたいと思っています」
「スタジアムMCをしていて、言いづらいと感じた言葉はありますか?」(Dさん)
玉腰「間違えないことが大前提ですので、難しい名前の選手は大変です。アリスティディス・アキーノさんは3人とも必死に練習しました」
最後に中日ファンのみなさんへメッセージ。
玉腰「今年2024年こそは強いドラゴンズを見たいと思います。私も一生懸命応援しますので、皆さんもぜひバンテリンドームにお越しください」
生粋の中日ファンで、中日ドラゴンズスタジアムMCの玉腰佳弘さんでした。
(尾関)
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